2015/11/15

便所と夫婦と世界が抱える問題 (Double Trouble - Public Image Ltd)

いったい何をごちゃごちゃ言ってんだよ。何だって?トイレがまたぶっこわれた?ああ、前は俺が直したよ。また配管屋を頼めって言ったろ。何度でも頼めって...。

なんということでしょう。PiLのニューアルバムWhat the World Needs Now...はトラブルの歌で幕を開けます。その名もDouble Trouble、あろうことか便所の配管トラブル、ウンコ飛び散り夫婦喧嘩ソングです。

ここに至った経過を見ず知らずの第三者の立場から簡単にご説明いたします。ジョン・ライドンは元祖パンク、Do It Yourselfの人ですから何でも自分でやります。ご飯作ったり、義理の孫のためにPTAの会合に出席したりと家のこともマメでして、トイレの配管一式まで自分でやってしまいます。だもんで、妻のノラは別のトイレの調子が悪くなったときもまたジョンが直してくれると思ってそのままにして置いたらそれが大惨事に...という次第です。

甘い言葉などいらない
俺を安全な場所に押し込むな
やさしく抱きしめられてたまるか
俺が望むもの、それはトラブル、トラブル、トラブル

文句あるんんだろ、望むところだ
もっと怒れよ、すっきりしようぜ
白黒はっきりさせよう、それしかない

俺が望むものはトラブル、次から次へやってくるトラブル
俺にトラブルを与えてくれ

一応解説しておきますと、Double Troubleというのはシェイクスピア由来のフレーズです。マクベスに出てくる魔女たちがヒキガエルやトカゲ、毒草なんかを大きな鍋で煮込みながら歌う呪いの歌です。映画のハリー・ポッターにも出てきます。Double, Double, Toil and Trouble(次々とふりかかれ、苦難と厄災よ)って歌詞です。実際に聴いてみると納得いただけると思いますが、三歳児ならToilet Troubleって空耳するのも無理はありません。けどだからといって、還暦を目の前にした大の男がWhat the World Needs Now...と冠したアルバムの一曲目でそれを力いっぱい歌うかというと、歌うんです。パンクですから。

崇められるなんてごめんだ
肩身の狭い思いはまっぴらだ
俺の名を汚すな
トラブル到来で屈辱とおさらばだ

世の中がエボラだ、戦争だ、経済格差だ、テロだって次々と大きなトラブルに見舞われているときに便所が壊れたって夫婦喧嘩ですか、呑気だねえという感想を抱く方々も少なくないことでしょうが、便所や夫婦喧嘩の問題にちゃんと取り組めないような人が世界の問題をどうこうできるはずなどありません。そうゆうもんです。それもできないような人たちがなぜか結構政治家や実業家になってしまっているということが問題をさらに根深いものにしているのです。便所と夫婦喧嘩は今こそ歌うべき大きな問題です。

ジョン・ライドンが今までに経験した最大のトラブル、それは7歳のときに髄膜炎にかかり、それまでの記憶をすべて失ってしまったことです。親の顔も自分が誰なのか分からない、言葉も話せず人の話はノイズにしか聞こえない、スプーンの持ち方すら分からないほどでした。数年かかって徐々に記憶は取り戻したのですが、いくつかの後遺症が残り、中でも幻影は長く続いたそうです。

ひどい頭痛と目まい、失神、火を吹く緑色のドラゴンとか存在しないものが見え始めた。そんなものいないって分かってる自分の中に、ドラゴンが見てパニックを起こしてる自分がいるんだ。それがどれほど恐しいことか。身体が勝手に反応して止まらない。恐怖のあまり引き付けを起こした。

次の朝、母親は容態がさらに悪化していることに気付いて医者を呼んだ。医者が到着すると俺は気を失なった。気が付くとそこは救急車の中だった。俺はまた気を失なった。次に俺が意識を取り戻したのは病院の中で数ヶ月後のことだった。俺は6ヶ月以上も昏睡状態だったんだ。

率直に言って、俺が空想にふけるようなことはまずない。俺の頭の中にそんな余地はない。他人の気持ちを考えない奴だってときどき言われるのはそのせいかもしれないな。時間をムダにしたくないのさ。朝起きるのはものすごい努力を必要とするけど、俺にとっては眠ることの方がその10倍も大変なことなんだ。眠るのが嫌いだ。起きたときにまた自分が誰だか思い出せなくなるんじゃないかって恐怖に襲われるんだ。この感覚はおそらく一生俺につきまとうはずだ。絶対に消えない。俺がなかなか眠らず、常に警戒してるのはそのせいなんだよ。ま、昔は「眠らずにいられるモノ」に頼ったことがあったような気もするけどな。

退院してからもしばらくの間は度々幻影に悩まされた。すごく怖いやつだ。中でも思い出すのは神父。今でもときどきその夢を見る。背が高くガリガリに痩せた男で黒い髪に黒い瞳、そのものすごく恐しい目で俺を睨むんだ。ハンパじゃなく大ごとなんだ。そいつが夢に現われると、俺は立ち向かわなくちゃならない。そうすれば消え去る。だけどそれは簡単なことじゃない。自分が夢を見てる状態で夢のコントールなんてできないだろ。だけどどうにかこうにか、何年もかかって、俺は自分の夢をコントロールできるようになったんだ。

John Lydon - Anger Is An Energy: My Life Uncensored

もう少しで死ぬところだったんだ。まったく笑えるようなことじゃない。だけど妙なことにあの病気が今の俺を作ったんだ。あれを経験したからこそ俺は今ここにいるんだ。かつて俺を死にそうにしてくれた神様には感謝するよ。記憶をすべて失なってしまい自分が誰であるかさえ分からなくなったんだ。あのときの苦しさは今も忘れちゃいない。俺が今までに味わった最大の達成感はあの病気を克服したことさ。

Lydon calling: A visit with the punk king

ジョン・ライドンというのはこうゆう人ですから、身近な個人的なトラブルと世界的なトラブルに優劣を付けたりしません。小さな個人的なトラブルに悩んでる人を馬鹿にしたりしません。どれも大切なことです。だからみなさんも日常様々トラブルに遭遇してると思いますが、Double Troubleを聴いて元気を出して立ち向かってください。健闘を祈ります。

ところトイレの件はどうなったのでしょう?

なんだかんだで、俺たちはバケツを使うハメになる

おう、いえー。

2014/12/23

今日がクリスマスじゃなくて良かった(Thank God It's Not Christmas - スパークス)

Sparks at Barbican, a photo by astonishme on Flickr.

2014年の暮れも押しせまってまいりました。みなさんいかがお過ごしでしょう。唐突ですが、少子高齢化問題について考えてみましょう。今年もその解決の兆しすら見えないまま終えようとしています。もちろんこんなところで何を書いたってどうなるもんでもないのですが、どうせみんなこんなの読んでるくらいヒマなんでしょう?それを良いことに適当なことを書き連ねてみたいと思います。

わたしは1960年代前半の生まれです。日本の高度成長期って呼ばれてる時代に生まれ、子ども時代を過ごしました。その頃、少子化とか高齢化なんて世間ではまったく問題になっておらず、そんな言葉自体ありませんでした。当時問題になっていたのは人口爆発のほうです。そんなの聞いたことない?このままどんどん地球上の人口が増え続けると食料が足りなくなって大変なことになるぞ、奪い合いで戦争が起きるぞ、そう言われてたんです。当時の少年マガジンにはおどろおどろしい挿絵と一緒にそんな記事がよく載っていて、子どものわたしは夜も眠れなくなるくらい心配したものです。

ところが現実に約50年経った今、みんなが心配しているのは出生率の低下、人口減少のほうです。でもちょっと待て、戦争や伝染病で大量の人が死んだり、大量の移民でもない限り、人口ってそんなに急に増えたり減ったりしないんじゃないの?

日本に関して言えば、1960年代、既に近所の家族構成は夫婦一組に子ども二人というのが一番多いパターンでした。三人という家もそこそこあったけど、一方で一人っ子というのも結構いたし、もちろん子どものいない家だってありました。人間二人につき平均で二人の子どもが生まれてやっと人口は横ばいなんだから、人口が減るの当たり前じゃん。普通に算数ができれば誰でもわかる理屈。問題は50年前既に始まっていたのに、同時は誰もそんなこと問題にしていませんでした。

ちまたのニュースで見かけるのはもっぱら「日本の」少子高齢化問題ばかりですが、もちろん日本に限ったことではぜんぜんなく、世界共通の問題です。スチュアート・ブランドという人は、その原因が「都市化」にあると説明しています。

都市で起こっている現象に関しては、2007年の国連報告「とめどのない都市化の将来」で、ジョージ・マーティンがこう書いている。

「都市部における新たな社会変化の特色として、女性が力を持つようになり、男女の役割に変化が起き、社会状況が改善され、出産前後の健康管理が高度化し、恩恵も受けやすくなる。これらの要因が、出産を急激に減少させる」

田舎では子どもが増えれば資産が増えることにつながるのだが、都会のスラムでは子どもが増えれば足手まといになる。したがって都会で自由を得た女性は、子どもは少数にとどめて高い教育を受けさせようとする。したがって、都市化は人口爆発を抑制する効果を持つ。

女性一人当たり2.1人の出生率という人口維持ラインは、大部分の地域でとどまるところを知らずに下がり続けている。人口の趨勢は、現存する人類の子どもが子孫を残す今世紀の半ばにピークに逹し、その後は減少に転じる。

ピーク時には、どのような状態になるのだろうか。2008年の国連の予想によると、90億人をやや上回る。ただし先進国の出生率が、なんらかの理由でふたたび盛り返すことを前提にしている。だがそれは起きにくく、80億人が上限ではないかと私は踏んでいる。それ以降は急速な減少に向かうため、危機感を抱いている者が多い。

あなたが知っている女性、あるいはあなた自身に子どもがいないとすると、ほかの女性が倍の4.2人を生まないと人口は維持できない。だが、それは無理だろう。

「地球の論点」 スチュアート・ブランド 英治出版

第二次世界大戦後、一時的な出生率の急上昇現象が世界的に発生しました。ベビーブームというやつです。このとき生まれた子どもたちが成長し、大挙して都市へ向かったのが1960年代のことです。彼らはそれまでの文化とは一線を画す、様々な「若者文化」を生み出しました。さて、いつもの通り、ここからわけのわからない方向へ話がズレます。

ロンとラッセルのメイル兄弟がやってるバンド、スパークス。カリフォルニア生まれの二人がバンドを始めたのは1960年代の終わりのことです。スパークスはアメリカでデビューしたものの、全然売れませんでした。スパークスの歌の基本となっているのは「都市での人間の孤独」です。当時のアメリカはまだそんなに「都市化」されていなかったのかもしれません。

彼らは活動の拠点をイギリスに移し、1974年にアルバム「Kimono My House」を発表しました。これが大ヒット、一躍彼らは大人気スター・バンドとなります。イギリスの子どもたちの方が、アメリカよりずっと孤独を感じていたのだと思います。以来、彼らはイギリス、ヨーロッパを中心に活動を続けてきました。「Kimono My House」は不朽の名作として、今も聴き継がれています。

クリスマスといえば欧米の伝統的家庭では家族が集まって過す楽しい日です。でも都市というのは、家族を持たない、あるいは一緒に過ごせない人たちをたくさん生み出す場所です。そんなクリスマスの光景を歌ったのが「Thank God It's Not Christmas」という名曲です。「Kimono My House」に収録されています。

この歌の歌詞、一見リア充を羨み、孤独な自分を嘲笑ってる内容にも見えますが、その程度で40年もの間名曲とは呼ばれたりしません。よく聴けばわかります。この曲は「いつもそこにいる、クリスマスにだってひとり残ってるきみ」へのラヴ・ソングなんです。

つい先日、ロンドンのBarbicanでアルバム発売40年を記念して、フルオーケストラと一緒に「Kimono My House」全曲を演奏するコンサートが開催されました。40年来のファンがたくさん集まって大盛況でした。同じ形式のコンサートは、最近やっとスパークスに共感できるようになったアメリカでも来年2月に予定されています。

あー、少子高齢化の話はどこへ行ったかって?そんなに簡単に片付くわけないでしょ。それはまた考えることにしましょう。だけどスパークスの歌を聴けば、ちょっとだけ幸せになれるよ。

メリー・クリスマス。

耳をすますと何が聞こえる?
おしゃべりとグラスがぶつかる音
たわいもない会話に女性の笑い声
それがずうっと続いてる

目をこらすと何が見える?
外からは様子の見えないお庭
みんなが集まって楽しんでる気配
それがずうっと続いてる

だからぼくは夜になると
居酒屋や行きつけの店へ行き
意外な出会いを求め
なんとか誤ちを犯せないかとがんばるんだ

でもやがて夜が明けて
ところどころかなり同じパターンの
昼ドラみたいな毎日の繰り返し

大勢の人と騒音に紛れ
催眠状態の中、潮の満ち引きみたいに過す
ゆっくりと日が落ちて
また夜になるまで

居酒屋や行きつけの店にたむろする
おなじみの連中をごらんよ
店の照明が暗くなって
「さっさと帰れ」サインが出るまで
ほかに行くところがないんだ

今日がクリスマスじゃなくて良かった
だってクリスマスに
残ってるのはきみくらいで
ほかに何もすることがなくなってしまうから

今日がクリスマスじゃなくて良かった
だってクリスマスには
みんなあたりから姿を消してしまい
きみと過ごすしかなくなるから

クリスマス・キャロルを歌う子どもたち
まだ少しばかり時期が早いのに
でもその歌声は豊かで清らかで透き通るよう

みんな待ち望んでる、みんなが大好きな日
その日がもうすぐやって来る
それに異議を申し立てるなんて
できるんだろうか

もしこれがセーヌ川だったらぼくらもきっと
すごく上品な気持ちなれるんだろうけど
目の前は
大通りのゴミを押し流すただの大雨

今日がクリスマスじゃなくて良かった
だってクリスマスに
残ってるのはきみくらいで
ほかに何もすることがなくなってしまうから

みんなが大好きな日のみんなが大好きな過ごし方は
選ばれた一部の人たちのもの
ぼくやきみのみたいな人間には
まるで関係ない

みんなが大好きな夜のみんなが大好きな礼拝
そこで話され、行われる素晴しいことも
きみにはまるで関係ない

もしこれがセーヌ川だったらぼくらもきっと
すごく上品な気持ちなれるんだろうけど
目の前は
大通りのゴミを押し流すただの大雨

2014/11/08

「私たちは今もトニー・ウィルソンの子供たちなんです」ドゥルッティ・コラム Chronicle XL

前回のポーリン・マーレイのアルバムに引き続き、「FACT番号の無いファクトリー作品」の話です。

ヴィニ・ライリーが脳梗塞で倒れ、正式リリースが遅れていたドゥルッティ・コラム(The Drutti Column)新作「Chronicle(年代記)」が今年7月にやっと正式リリースされました。

ドラマーのブルース・ミッチェル(Bruce Mitchell)によると、この作品はヴィニが今まで出会ってきた友人たちの肖像を音楽で描いたもので、いわばエドワード・エルガー「エニグマ変奏曲」のドゥルッティ・コラム版とも言えるものだそうです。

同じ「Chronicle」と題されたアルバムとして、2011年マンチェスターでの特別ライヴのチケット購入者限定で配布されたものがあるのですが、今回リリースされたのはこれを再構成し新たな作品を加えた2枚組「Chronicle XL」です。一枚目が2011年の録音を再構成したChronicle One、二枚目はヴィニの60歳を記念して追加された内容のChronicle Twoとなっています。

CDは化粧箱入りのパッケージになっていて、ヴィニが撮影した友人たちのポートレート写真が掲載したブックレットが同梱されています。さらにヴィニが暮らしていた町の地図のポストカード、ピンバッジのほか、一枚のサンドペーパーが入っていてその裏には2011年版Chronicleのダウンロード・コードが記載されています。

前述のブックレットでブルース・ミッチェルがこのアルバムの成り立ちとヴィニの状態について詳しく書いていますので、それをご紹介します。

一緒に仕事をするのが難儀な人間といえば、まず第一に名前が挙がるのがヴィニ・ライリーでしょう。二番目は私かもしれませんが...

このアルバムの成り立ちについてお話ししましょう。曲の多くは2011年、ブリッジウォーター・ホールで開催したプレミア・ショーでのお披露目に向けて作られたものです。

このアルバムの始まりは、友人たちの肖像を音楽で描いた作品群をヴィニが撮影したポートレイト写真と一緒にアルバム化するという企画で「バイオグラフィーズ」と呼んでいました。私はこの思い付きとヴィニが撮った写真を大いに気に入ってました。おそらく私から言い出したアイディアだったと思います。

エルガーやバッハ、ヴィヴァルディといった作曲家たちは友人たちを音楽で描いたロマンチックな作品を残しています。ヴィニ・ライリーなら同じことができるはずだ。私はそう考えたのです。また音楽と写真を一緒にパッケージングしてちょっとした「アート作品」を世に出す良い機会だとも考えました。そうです。結局のところ、私たちは今もトニー・ウィルソンの子供たちなんです。

ヴィニはうなずいてこのアイディアに同意してくれましたが、さてどうなることか。一旦レコーディングの現場に入ってしまえば自分のやりたいようにやる、それが彼です。またスタジオ入りするためなら、どんなリップ・サービスも厭わずやってのける奴です。

私たちの長年に渡るプロデューサーを続けてるイカレポンチ、インチ・スタジオのキアー・スチュワート(Keir Stewarts)が全体の指揮を努め、ジョン・メトカルフェ(John Metcalfe)、テイム・ケレット(Tim Kellett)のほかヴィニの恋人ポピー・モーガン(Poppy Morgan)がピアノ、ドラムと洗濯と士気の担当が私という布陣でした。

集中、そして続く強力な音楽、ヘッドフォンを通じて鳴り続けるユニークなギターの音に合わせ、ドラムキットでガタガタ音を鳴らす、私はこのような場にまた参加できたことを嬉しく思いました。相棒の巨匠くんがゲームの掛け金を引き上げたら、私もそれに食らい付きました。

ところが突然、ポピー・モーガンが演奏を止めてしまいました。起伏の激しいアーティストの気性にはもう耐えられない、別れてアジア旅行に行くと言い出したのです。この出来事により、ヴィンセント・ジェラルド・ライリーは宇宙にさまよい出してしまいました。絶望の淵に滑り込み、「バイオグラフィー」のプロジェクトはエドガー・アラン・ポー風の陰鬱で暗く荒れ狂った失恋物語の様相を呈し始めました。私の勘違いだったと思いたいのですが、そのサウンドはまるで「Pain is Bright(訳注: アルバム LC収録Never Knownの歌詞)」でした。

2011年4月30日、私たちはプレミアショーをブリッジウォーター・ホールで開催、背景スクリーンにヴィニが撮影した写真を投影しながらバイオグラフィーズの曲を演奏しました。ある意味、私たちが悪戦苦闘するさまを披露したようなもので、観客にとっても同様だったと思います。どうにかこうにかショーをやり遂げたのですが、気付いてみると最後の写真が手違いにより終演後もスクリーンに映されたままになっていました。たくさんの観客を見下ろすように映し出されていたのはトニー・ウィルソンの写真でした。彼ならきっと「これこそ『イヴェント』だな」と言ったことでしょう。

その後もポピーは戻って来ませんでしたが、ヴィニは自分のベッドルームに篭り、創作に没入するようになりました。床にひざまずいたり、しゃがんだりしながら、借り物のポータブル・スタジオ機材を使って作曲し、サンプリングし、過去の音源を再加工し、ギターサウンドを入れ、ささやくようなヴォーカルをトラックに追加していきました。今から40年近く前、両親の住む家で作品を作り始めたときとまったく同じ方法です。彼はベッドルームの床に戻ってきたのです。

そのさらに数ヶ月後、ヴィニは玄関で倒れ救急車を呼びました。脳梗塞の発作が起きたのです。このため私たちはアルバム「バイオグラフィーズ」の制作を一旦中断し、ドゥルッティ・コラムの過去作品のリイシューと特別盤のリリース作業に専念することにしました。協力してくれた友人はKookyレーベルのフィル・クリーヴァー(Phil Cleaver)とファクトリー・ベネルクスのジェイムス・ナイスです。私たちは彼らの連帯と紳士的行為に大きな恩を感じています。

入院、治療中も遅々としてではありますが、ヴィニは音楽を続けていました。あるときは病院のベッドに赤いギブソンSGを引き摺ってきて「技能」と健康を取り戻そうとしていました。ギブソンSGならネックが細くて彼の衰えた左手でも握りやすいという理由でこのギターを選んだのです。その後さらにインチ・スタジオへ短時間ながらも通って絶望からの回復に努めました。ビル・ランス(Bill Rance)とローズ・バーリー(Rose Birley)が歌い、キアー・スチュワアートがとりまとめ役を買って出てくれ、演奏のほか彼のあらゆる社交術を駆使して精神の安定に努めてくれました。そしてヴィニ、私は彼をこの戦いのマン・オブ・ザ・マッチに選出します。

いかなることがあろうと「人の胸に希望は永遠に湧き出る」ということです。私と一緒にあなたも肝に命じておいてください。そして私たちはついにこの美しい作品を完成させました。私はいつも車で町中を忙しく走りまわりながら、このアルバムの曲を流しています。とても快適です。もうヴィニからの奇矯な電話に煩わされることもありません。

「アルバムのタイトルはChronicleでいいかな?」彼が尋ねました。
「もしろんさ。Chronicleのパート1とパート2だよ」私はそう応えました。

さて紳士、淑女のみなさん、作品の評価については議会に委ねることをお許しいただければと...

2014年 ブルース・ミッチェル

一時はブルース・ミッチェルでさえ絶望的と言っていたヴィニ・ライリーの体の状態ですが、少しずつギターが弾けるようになってきています。今年5月にはブルースと一緒にChorlton Arts Festivalのステージで演奏もしました。つい先日はSome Kind of Illnessのメンバーと一緒にカフェでギターを弾くヴィニの姿がFacebookにアップされていました

このほか 昨年のインタビューで「ミケーラ・ターナー・ノーラン(Michaela Turner Nolan)という素晴らしいナチュラル・ヴォイスの女性と出会ったんだ。すぐにでも次のアルバムを作りたい」なんて言ってるんですが、女性には注意した方がいいと思うなあ。前のポピー・モーガンだってヴィニの娘くらいの年齢でしょう。Myspaceにはこんな写真載せ ちゃってたし...

まあとにかく、ヴィニが元気になってきて良かったです。案外イメージとは裏腹の助平さんなのかもしれませんが、それが生きる活力になります。

(2015/01/18追記)
アルバムChronicle XLはiTunesやAmazon MP3でもリリースされ、入手しやすくなりました。

2014/11/03

「ファクトリー」番外の名作 Pauline Murray and the Invisible Girls

Pauline Murray and the Invisible Girls

この10月、1980年にリリースされたポーリン・マーレイ・アンド・ザ・インヴィジブル・ガールズ(Pauline Murray and the Invisible Girls)唯一のアルバムが突如、リマスターで再リリースされました。

かのマーティン・ハネット(Martin Hannett)がプロデュースを手がけた知る人ぞ知る名作です。ポーリン・マーレイと彼女のパートナーでありベーシストのロバート・ブレミア(Robert Blamire)を中心に、スティーヴ・ホプキンス(Steve Hopkins)、ヴィニ・ライリー(Vini Reilly)というファクトリー勢とバズコックス(Buzzcocks)のジョン・マー(John Maher)という一部の人々にとっては涙が出るほどの豪華メンバーで作られた作品です。録音はストロベリー・スタジオでジャケットのデザインはピーター・サヴィル(Peter Saville)が担当、レコードは当時RSOというレーベルからリリースされたのですが、事実上の「ファクトリー」作品と言って差し支えありません。

あ、トニー・ウィルソン?トニーもちゃんとレコーディング中、スタジオに顔出してますよ

「ポーリン・マーレイなんて名前、知らない」という方も多いでしょうから、まず簡単にご紹介しておきます。オリジナルのパンク少女です。1976年、イングランド北部、人口数万の小さな都市ダラムに暮していた当時18歳のポーリンは、まだレコード・デビュー前だったセックス・ピストルズのギグを観に行って大きな衝撃を受けます。これこそ自分が求めていたものだ、こうしちゃいられない、自分もステージに立たなくちゃ、そう考えた彼女は近所の楽器を弾けそうな男の子たちをかき集めてバンドを結成します。そのバンドがペネトレーション(Penetration)です。

きわめて早い時期に登場したパンク・バンドということもあり、ペネトレーションは翌年1977年にはもうヴァージンとの契約を果し、ファースト・シングルをリリースします。さらに翌年にはファースト・アルバム「Moving Targets」を発表、UK チャートの上位に食い込みます。

このペネトレーション、パンク・バンドとして売り出されたんですが、実はいわゆるパンクとは一線を画す異なるユニークな音楽性を持っていました。ポーリンのノンビブラート、直球ど真ん中勝負の声、パンクなのになぜかポップで哀愁を帯びたメロディー、妙に整った曲構成とアレンジ。作曲の中心になっていたポーリンやロバートの才能でしょうね。おまけにギターのサウンドがメタルなんですよ。当時パンク・バンドでギターが「キュィイーーン」というのは暗黙の禁じ手となっていたのですが、ペネトレーションのギターは平気でキュィイーーンなんですよ。たぶん近所でメンバー集めたときに「あんたギター弾ける?じゃギター担当で決まりね」って感じでやったので、そうゆうタイプのギターが混ざってしまったのでしょう。結果的にそれがユニークなサウンド作りに大きく貢献しました。

一時は北米ツアーをするくらいまでになったのですが、2枚目のアルバムは思ったように売れず、レコード会社も「パンクはもうおしまい、次!」ということになり、1979年にはもう解散してしまいました。

ペネトレーション解散後、ソロとしての再起をかけたポーリンがマーティン・ハネットに自らプロディースを依頼をして作成したアルバムがこの「Pauline Murray and the Invisible Girls」です。

アルバム再発までの経緯と当時の状況について話をしている最近のインタビューがありましたので、ご紹介します。

ダークなポップ・アルバム。曲は意図してポップにつくろうとしたわけではなくて、自然にそうなったの。わたしの声はすごくキャッチーに録られてるけど、その後に発表された他の音楽のようにクリーンなポップじゃなく、ちょっとトゲがある。

あれはマーティン・ハネットがプロデューサーとしてその後80年代に出したアルバムの青写真的なもの。転換点だったのよ。ちょうどレコーディングをしている最中にイアン・カーティスが自殺をして、異様なムードが取りまいていた。

アルバムはRSOレーベルからリリースされたんだけど直後に突然潰れてしまって、それっきりわたしはレコード会社との契約も無くなってしまった。テープはずっとわたしたち(ロバート・ブレミアとポーリン・マーレイ)が所有していて、何とか再び世に出したいと思ってた。だってあればミッシング・リンクで「ファクトリー」ともつながっているものなんだから。権利も自分たちで持ってたから何度もリリースしようとしたんだけど、力が及ばなかったの。

ところがうれしいことにこの3月、クレスプキュールのジェイムス・ナイスから再リリースについて打診があったの。

あの作品を作ったのは自分なんだけど、当時のわたしはこの上なく落ち込んでいたの。ものすごくつらい時期だった。きっとそのときの気持ちがあのレコーディングに詰まっているんだと思う。ペネトレーションでの経験しかなかったから、マーティンやセッション・ミュージシャンたちとやることに自信がなかったのよ。そんなの初めてだったから。

マーティンと一緒にレコーディングを始めると、なんだか音楽が自分の手を離れていくような気がした。曲のデモを演奏してその録音を聴き直したら、いつの間にかアレンジができ上がってるのよ。まだピアノやストリングス、セッション・ミュージシャンの誰とも一緒に演奏していないのに。

マーティンは他のプロデューサーとは全然違っていた。じゃヴォーカル、もう一度やってみよう、次はきっともっと良くなるよ、なんて言うのが普通のプロデューサー。だけど彼は何ひとつ指示しないの。彼はただバックトラックを流して、わたしはそれに合わせて歌う。またトラックを流してわたしが歌う。それからまた歌う、また歌う、この繰り返し。これが延々10回くらい続くのよ。しまいにはもううんざり。

最近ウェイン・ハッスィー(Wayne Hussey)と話す機会があったのだけど、彼も同じことを言ってた。ウェインはギター・パートを録音してたんだけど、何度演奏してもコントロール・ルームから何ひとつ指示がなくて、10回を越えたところで辛抱たまらずコントロール・ルームに入って行ったら、そこにはマーティン以外誰もいなくて、しかもデスクの下で寝てたんだって。テープだけリピート設定されてたって。万事がこの調子だったのよ。

箱にしまってあったマスターテープは一部音が消えていたりで、期待していた状態じゃなかったの。だけど箱の中には未開封の日本版のレコードが残っていて、それを基準として使うことができたの。技術が発展したおかげ。オリジナルのテープは劣化してひどい音になっていたから、全部マスタリングし直す必要があったのだけど、新品状態のレコードが残っていたのでそれを基準にしてオリジナルのサウンドを再現することができた。ジェイムス・ナイスがすごくいい仕事をしてくれたおかげで素晴しいサウンドに出来上がったのよ。

NTERVIEW: PAULINE MURRAY. INVISIBLE GIRL.

ここで本人が言ってる通り、アルバムはリリースされたもののレコード会社がその直後に倒産、プロモーションが充分に行われなかったせいもあって、音楽誌や一部の人たちにとても高く評価されたにもかかわらず、ヒットには至りませんでした。

その後34年、現在に至るまで彼女はどうしていたのでしょう。これも同じインタビューで語っています。

このファースト・ソロ・アルバムをリリースした後、10インチ・シングルの「Searching for Heaven」も出したんだけど、その後でRSOが潰れてしまいレコード会社との契約がなくなってしまったの。ニューカッスルの家を出てロンドンに3ヶ月住んで、その後ロバートと一緒にリバプールのトックテスへ引っ越したんだけど、その1週間後に暴動が起きた。その頃色々なゴタゴタも抱えていて、家に帰ることもできなかった。音楽の世界から逃げ出したわたしはもう二度とカムバックできないんじゃないかと感じてた。わたしは歌がうまいわけじゃないし、もうおしまい、もうこれ以上続けたくない。次のレコード会社との契約も望めなかったから、音楽の世界に背を向けようとした。

それでもどうにかニューカッスルへ帰って、Chrysalis音楽出版の人に会ってみると、その人はInvisible Girlsのアルバムを作成したとき作曲者契約を担当した人だったの。おかげで何曲か作って、Big Starのアルバムの曲Holocaustのセッションにも参加できた。これで自信がついてまた次のステップに進むことができた。ただ作曲家契約はしたものの文無し。どのプロジェクトもお金にならなかった。自前のレーベルPolestarを立ち上げ、バンドを組んでStorm Cloudsとしてアルバムをリリース、国内で何度かライヴもしてみた。80年代の中頃のこと。誰も興味を持ってくれなかった。

ロバートの家は印刷屋をやっていたから、彼はしばらく帰ってその仕事をすることになった。わたしは1年ほどレストランで皿洗いの仕事をした。それが当時のわたしにはできる精一杯のことだったから。だけどそのおかげで現実の世界に戻ることができた。

リバプールに住んでいた頃から、わたしはいつかリハーサル・スタジオを開きたいという夢を持っていんだけど、偶然にもひとりの地主さんから「この物件をきれいにしてくれるなら家賃は数ヶ月分無料にするよ」って話があったの。わたしは思い切って契約を結んだ。何もないところから始めたんだけど、次第に仕事としての体を成してきて、それが今のPolestarスタジオになったの。

数年前、カウンシルから建物をひとつ買い取って、今の場所に移転したの。メンテナンスされずに放置されてた建物だったけど、自分達で全部直してね。今ではリハーサル・スタジオが4つ、レコーデイング・スタジオも1つあるのよ。マキシモ・パーク(Maxïmo Park)やジョン・アシュトン(John Ashton)もここを使ってるのよ。長いことかかったここまできたの。子供は二人いてもう大人になってる。昔とはぜんぜん違う生活。

2001年にはペネトレーションを再結成して何度か素晴しいショーもできたし、すてきな人たちとも出会えた。数年前、マーティン・スティーヴンソン(Martin Stephenson)の勧めでヴィヴ・アルバーティン(Viv Albertine)、ジーナ・バーチ(Gina Birch)、ヘレン・マコッカリボック(Helen McCookerybook)と一緒に何曲か演ることになって、それがきっかけでアコースティック・ギターを弾くようになったの。まだほんとに数曲しか作ってないんだけど、今までの曲とはまったく違ったものになってる。

1年くらい前からペネトレーションを呼びたいというオーストラリアのプロモーターから話を受けていたのよ。だけどオーストラリアでペネトレーションはほぼ無名のバンドだから、ファン開拓のためにシドニーとメルボルンでアコースティック・ライヴをやって、色々プロモーション活動をすることにしたの。ソロでのアコースティック・ツアーなんて初めてで新たな挑戦だけど、これまでやってきたライヴ同様、すごくやりがいを感じる。ペネトレーションとは正反対のくつろいだ感じのライヴになるはず。

ちょうどこれを書いてる今、ポーリンは初のオーストラリア・ツアーの真っ最中です。

最後に、このアルバムから当時シングル・カットされた「Mr. X」という曲をご紹介します。2014年の今も、充分に聴く価値のある曲です。歌の背後に漂っている特徴的なギターの音はもちろんヴィニ・ライリーによるものです。

言われた通りに笑ってください
次に笑い者になるのはあなたなんです
スポットライトに照らされてるあなたを
みんなが注目してますよ

明日、あなたはお金持ちになってるかも
明日、あなたはお金持ちになってるかも

この白線の上に立ってください
ただのゲームですよ
問題に答えるんです
ではお名前をどうぞ

明日、あなたはお金持ちになってるかも
明日、あなたはお金持ちになってるかも

勝つために屈辱に耐えなくちゃならない
友達がみんな期待してる
だけどどうしたらいいんだろう
勝つために屈辱に耐えなくちゃならない
友達がみんな期待してる

制限時間は20秒
問題は20問です
迷ってるひまはありませんよ
この目隠しを付けてください
では照明を消します

明日、あなたはお金持ちになってるかも
明日、あなたはお金持ちになってるかも

カウントダウン開始です
選択肢は10個、どれを選びますか
生涯もう二度とないビッグチャンスです
でもここであなたの集中力は切れ
言葉が出なくなる

明日、あなたはお金持ちになってるかも
明日、あなたはお金持ちになってるかも

2014/10/11

怒りはエネルギーだ - ジョン・ライドンの自伝第二弾「Anger is an Energy: My Life Uncensored」

1994年に出版された「Rotten: No Irish, No Blacks, No Dogs」に続くジョン・ライドンの自伝第二弾「Anger is an Energy: My Life Uncensored」が10月9日に発売されました。

「えーっ、自伝ってそんなに何冊も出すものなの?」って思いました?いや、自伝/伝記大好きの国イギリスではぜんぜん珍しくないことのようです。それに書くべきことがある、出す価値があるから出すんです。

ということで、最初はおもしろいエピソードでもちょこっと訳して紹介しようかなと思ったんですが、当のジョン・ライドンが宣伝のため、ラジオ、テレビ、出版イベントなどに出演しまくっておりまして、そのひとつのインタビュー記事がすごく良かったもんですから、そっちを紹介します。

まず予備知識のない方のためにちょっと説明しておきますと、ジョン・ライドン、別名ジョニー・ロットンは7歳のとき髄膜炎という病気にかかります。一命はとりとめたものの、高熱の後半年も昏睡状態が続き、目覚めたときには完全に記憶を失なっていました。自分が誰かわからない、両親の顔も覚えていない、言葉も話せない、体の動かし方すら覚束無いという状態です。彼は7歳からその後4年間を自分が誰であったかを思い出すために費します。

怒りは俺のあらゆる種類の記憶を取り戻すために必要なエネルギーだった。完全に記憶を取り戻し、自分が誰で、自分の両親が誰だかわかるようになるまで数年かかった。病院は両親に「とにかく彼を怒らせなさい」と言った。それが記憶を取り戻すエネルギーになるんだって。だけどもしそうしなければ、ずっとこのままだろうって。

不満とかいうレベルの話じゃないぜ。俺は自分自身に対して怒ったんだ。とにかくそのエネルギーのおかげで俺は自分が見つけるべきものを見つけられるようになった。この怒りのエネルギーがあったからこそ、今俺はこうしているんだと思う。おかげで俺は人間として独り立ちできたわけさ。マルコム・マクラーレンなんかがあたかも俺を育て上げたみたいに言ってたが、それより遥か以前のことだよ。

だがまた自分が起き上がれなくなってしまうんじゃないか、自分が誰だか思い出せなくなってしまうんじゃないかという恐怖は今も消えない。これ以上の孤独な思いはほかに絶対ない。両親が俺を憐れんで甘やかしていたら、俺は施設に入れられて、ずっとそのままだったのかもしれない。

というわけで、俺の個性や生命力というものができ上がったわけだ。危機一髪だったのさ。せっかくセカンド・チャンスをもらったんだぜ。無駄になんかできるわけない。

俺の曲に対してその視点や意図に共感を示す人々がいる。彼らはそういうことをすべて理解していて、俺と経験を共有できてるんだ。驚くべきことだよ。

俺にはそこで共有されている痛みが何だかわかる。そういう人間がいれば、同じような経験を共有できる。もちろん細かな点は違っているだろうよ。だけど目を見ればわかる。だから俺はそれを心の奥の闇に閉じ込めるんじゃない、オープンにしなくちゃならない、白日の元にさらそうという気持になるんだ。

だから俺は続けてるんだ。そういうのを見るのがうれしいんだ。だってみんな生きてるってことなんだぜ。「コンサート会場は空っぽだ、ジョン。みんな自殺しちゃったんだ」なんてうれしいわけないだろ。

俺たちはみんな色んなものに対する怒りを抱えている。だが幸いなことに、その怒りをポジティヴに使うこともできる。俺は、歌を作るってことはそれを促すものでなくちゃならないと思ってる。

俺は正しい音程で歌う必要なんてないし、アメリカン・アイドルの予選を通過するためにやってるんでもない。俺はノイズを組み合わせて曲を作る。俺が感じるままのノイズだ。作曲家になんてならなくていい。ただ誠実にやればいい。俺はいつも自分が感じるあらゆる感情を表現しようとしている。ギグで解き放つ感情が歌に命を吹き込むんだ。

曲の中には歌うとき、ものすごく緊張するものもある。たとえばDeathDisco、あれは俺の母親の死について歌ったものなんだ。死で誰かを失うことに慣れることなんてできるわけない。

だがそうした歌を歌うとき、即興演奏というのはジェットコースターになる。俺が今PiLで一緒にやってるのはみんなすっげーいい連中ばかりで、高い技能と許容力を持ち合わせている。彼らがそのノイズとトーン、張り詰めたサウンドで俺をチャレンジしがいのある高みへ連れて行ってくれるんだ。

音楽にはどんな制限もルールもない、完全なる自由、最高の空間だと思うね。その代わりたくさんのものをつぎ込まなくちゃならないが、その価値はある。トレードオフさ。だけどそれだけの価値があるんだ。

'We all have an inner anger which should be used to a positive end' - John Lydon speaks to the SNJ ahead of the Cheltenham Literature Festival

ね、今出す価値、読む価値のある本だと思うでしょ。原著は500ページを越えるぶ厚い本なんですが、Amazon Kindle版はなんとわずか580円で売ってます(580円というのは発売直後のサービス価格だったらしく、現在は通常価格になっています。2015/01/30 追記)。

でも「英語で500ページの本なんて読めないよ」という人が大半でしょう。そうですよね。邦訳出るかなあ。昨今の日本の出版状況からすると、このボリュームの翻訳本が出る可能性はきわめて低いんですよね。そのまま日本語にすると700ページ、800ページというボリュームになってしまうため、値段が高くなる → 売れる部数が限られる → 出しても採算取れない、ってことで、出版社は出すのをためらってしまうんですよね。

でもここは前作「No Irish, No Blacks, No Dogs」を出したロッキングオン、意地見せて出してくれよお。今、一番出すべき本でしょう。全国の小中学校の図書館に必ず一冊は置いとくべき本だよ。

あ、そうそう、本のタイトル「Anger is an Energy」というのは、もちろんPiL(Public Image Ltd)の代表曲「Rise」のフレーズから取ったものです。

それから、この本の出版準備とジーザス・クライスト・スーパースター出演のため、ジョン・ライドンはPiLとしての活動を休止していましたが、12月にライヴ活動を再開、同時にニューアルバムのレコーディングを始め、来年夏発売の予定です。

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ロッキングオンにはジョン・ライドンの自伝「No Irish, No Blacks, No Dogs」の完全版を出していただきたい
May the road rise with you (Rise - パブリック・イメージ・リミテッド)