2014/12/23

今日がクリスマスじゃなくて良かった(Thank God It's Not Christmas - スパークス)

Sparks at Barbican, a photo by astonishme on Flickr.

2014年の暮れも押しせまってまいりました。みなさんいかがお過ごしでしょう。唐突ですが、少子高齢化問題について考えてみましょう。今年もその解決の兆しすら見えないまま終えようとしています。もちろんこんなところで何を書いたってどうなるもんでもないのですが、どうせみんなこんなの読んでるくらいヒマなんでしょう?それを良いことに適当なことを書き連ねてみたいと思います。

わたしは1960年代前半の生まれです。日本の高度成長期って呼ばれてる時代に生まれ、子ども時代を過ごしました。その頃、少子化とか高齢化なんて世間ではまったく問題になっておらず、そんな言葉自体ありませんでした。当時問題になっていたのは人口爆発のほうです。そんなの聞いたことない?このままどんどん地球上の人口が増え続けると食料が足りなくなって大変なことになるぞ、奪い合いで戦争が起きるぞ、そう言われてたんです。当時の少年マガジンにはおどろおどろしい挿絵と一緒にそんな記事がよく載っていて、子どものわたしは夜も眠れなくなるくらい心配したものです。

ところが現実に約50年経った今、みんなが心配しているのは出生率の低下、人口減少のほうです。でもちょっと待て、戦争や伝染病で大量の人が死んだり、大量の移民でもない限り、人口ってそんなに急に増えたり減ったりしないんじゃないの?

日本に関して言えば、1960年代、既に近所の家族構成は夫婦一組に子ども二人というのが一番多いパターンでした。三人という家もそこそこあったけど、一方で一人っ子というのも結構いたし、もちろん子どものいない家だってありました。人間二人につき平均で二人の子どもが生まれてやっと人口は横ばいなんだから、人口が減るの当たり前じゃん。普通に算数ができれば誰でもわかる理屈。問題は50年前既に始まっていたのに、同時は誰もそんなこと問題にしていませんでした。

ちまたのニュースで見かけるのはもっぱら「日本の」少子高齢化問題ばかりですが、もちろん日本に限ったことではぜんぜんなく、世界共通の問題です。スチュアート・ブランドという人は、その原因が「都市化」にあると説明しています。

都市で起こっている現象に関しては、2007年の国連報告「とめどのない都市化の将来」で、ジョージ・マーティンがこう書いている。

「都市部における新たな社会変化の特色として、女性が力を持つようになり、男女の役割に変化が起き、社会状況が改善され、出産前後の健康管理が高度化し、恩恵も受けやすくなる。これらの要因が、出産を急激に減少させる」

田舎では子どもが増えれば資産が増えることにつながるのだが、都会のスラムでは子どもが増えれば足手まといになる。したがって都会で自由を得た女性は、子どもは少数にとどめて高い教育を受けさせようとする。したがって、都市化は人口爆発を抑制する効果を持つ。

女性一人当たり2.1人の出生率という人口維持ラインは、大部分の地域でとどまるところを知らずに下がり続けている。人口の趨勢は、現存する人類の子どもが子孫を残す今世紀の半ばにピークに逹し、その後は減少に転じる。

ピーク時には、どのような状態になるのだろうか。2008年の国連の予想によると、90億人をやや上回る。ただし先進国の出生率が、なんらかの理由でふたたび盛り返すことを前提にしている。だがそれは起きにくく、80億人が上限ではないかと私は踏んでいる。それ以降は急速な減少に向かうため、危機感を抱いている者が多い。

あなたが知っている女性、あるいはあなた自身に子どもがいないとすると、ほかの女性が倍の4.2人を生まないと人口は維持できない。だが、それは無理だろう。

「地球の論点」 スチュアート・ブランド 英治出版

第二次世界大戦後、一時的な出生率の急上昇現象が世界的に発生しました。ベビーブームというやつです。このとき生まれた子どもたちが成長し、大挙して都市へ向かったのが1960年代のことです。彼らはそれまでの文化とは一線を画す、様々な「若者文化」を生み出しました。さて、いつもの通り、ここからわけのわからない方向へ話がズレます。

ロンとラッセルのメイル兄弟がやってるバンド、スパークス。カリフォルニア生まれの二人がバンドを始めたのは1960年代の終わりのことです。スパークスはアメリカでデビューしたものの、全然売れませんでした。スパークスの歌の基本となっているのは「都市での人間の孤独」です。当時のアメリカはまだそんなに「都市化」されていなかったのかもしれません。

彼らは活動の拠点をイギリスに移し、1974年にアルバム「Kimono My House」を発表しました。これが大ヒット、一躍彼らは大人気スター・バンドとなります。イギリスの子どもたちの方が、アメリカよりずっと孤独を感じていたのだと思います。以来、彼らはイギリス、ヨーロッパを中心に活動を続けてきました。「Kimono My House」は不朽の名作として、今も聴き継がれています。

クリスマスといえば欧米の伝統的家庭では家族が集まって過す楽しい日です。でも都市というのは、家族を持たない、あるいは一緒に過ごせない人たちをたくさん生み出す場所です。そんなクリスマスの光景を歌ったのが「Thank God It's Not Christmas」という名曲です。「Kimono My House」に収録されています。

この歌の歌詞、一見リア充を羨み、孤独な自分を嘲笑ってる内容にも見えますが、その程度で40年もの間名曲とは呼ばれたりしません。よく聴けばわかります。この曲は「いつもそこにいる、クリスマスにだってひとり残ってるきみ」へのラヴ・ソングなんです。

つい先日、ロンドンのBarbicanでアルバム発売40年を記念して、フルオーケストラと一緒に「Kimono My House」全曲を演奏するコンサートが開催されました。40年来のファンがたくさん集まって大盛況でした。同じ形式のコンサートは、最近やっとスパークスに共感できるようになったアメリカでも来年2月に予定されています。

あー、少子高齢化の話はどこへ行ったかって?そんなに簡単に片付くわけないでしょ。それはまた考えることにしましょう。だけどスパークスの歌を聴けば、ちょっとだけ幸せになれるよ。

メリー・クリスマス。

耳をすますと何が聞こえる?
おしゃべりとグラスがぶつかる音
たわいもない会話に女性の笑い声
それがずうっと続いてる

目をこらすと何が見える?
外からは様子の見えないお庭
みんなが集まって楽しんでる気配
それがずうっと続いてる

だからぼくは夜になると
居酒屋や行きつけの店へ行き
意外な出会いを求め
なんとか誤ちを犯せないかとがんばるんだ

でもやがて夜が明けて
ところどころかなり同じパターンの
昼ドラみたいな毎日の繰り返し

大勢の人と騒音に紛れ
催眠状態の中、潮の満ち引きみたいに過す
ゆっくりと日が落ちて
また夜になるまで

居酒屋や行きつけの店にたむろする
おなじみの連中をごらんよ
店の照明が暗くなって
「さっさと帰れ」サインが出るまで
ほかに行くところがないんだ

今日がクリスマスじゃなくて良かった
だってクリスマスに
残ってるのはきみくらいで
ほかに何もすることがなくなってしまうから

今日がクリスマスじゃなくて良かった
だってクリスマスには
みんなあたりから姿を消してしまい
きみと過ごすしかなくなるから

クリスマス・キャロルを歌う子どもたち
まだ少しばかり時期が早いのに
でもその歌声は豊かで清らかで透き通るよう

みんな待ち望んでる、みんなが大好きな日
その日がもうすぐやって来る
それに異議を申し立てるなんて
できるんだろうか

もしこれがセーヌ川だったらぼくらもきっと
すごく上品な気持ちなれるんだろうけど
目の前は
大通りのゴミを押し流すただの大雨

今日がクリスマスじゃなくて良かった
だってクリスマスに
残ってるのはきみくらいで
ほかに何もすることがなくなってしまうから

みんなが大好きな日のみんなが大好きな過ごし方は
選ばれた一部の人たちのもの
ぼくやきみのみたいな人間には
まるで関係ない

みんなが大好きな夜のみんなが大好きな礼拝
そこで話され、行われる素晴しいことも
きみにはまるで関係ない

もしこれがセーヌ川だったらぼくらもきっと
すごく上品な気持ちなれるんだろうけど
目の前は
大通りのゴミを押し流すただの大雨

2014/11/08

「私たちは今もトニー・ウィルソンの子供たちなんです」ドゥルッティ・コラム Chronicle XL

前回のポーリン・マーレイのアルバムに引き続き、「FACT番号の無いファクトリー作品」の話です。

ヴィニ・ライリーが脳梗塞で倒れ、正式リリースが遅れていたドゥルッティ・コラム(The Drutti Column)新作「Chronicle(年代記)」が今年7月にやっと正式リリースされました。

ドラマーのブルース・ミッチェル(Bruce Mitchell)によると、この作品はヴィニが今まで出会ってきた友人たちの肖像を音楽で描いたもので、いわばエドワード・エルガー「エニグマ変奏曲」のドゥルッティ・コラム版とも言えるものだそうです。

同じ「Chronicle」と題されたアルバムとして、2011年マンチェスターでの特別ライヴのチケット購入者限定で配布されたものがあるのですが、今回リリースされたのはこれを再構成し新たな作品を加えた2枚組「Chronicle XL」です。一枚目が2011年の録音を再構成したChronicle One、二枚目はヴィニの60歳を記念して追加された内容のChronicle Twoとなっています。

CDは化粧箱入りのパッケージになっていて、ヴィニが撮影した友人たちのポートレート写真が掲載したブックレットが同梱されています。さらにヴィニが暮らしていた町の地図のポストカード、ピンバッジのほか、一枚のサンドペーパーが入っていてその裏には2011年版Chronicleのダウンロード・コードが記載されています。

前述のブックレットでブルース・ミッチェルがこのアルバムの成り立ちとヴィニの状態について詳しく書いていますので、それをご紹介します。

一緒に仕事をするのが難儀な人間といえば、まず第一に名前が挙がるのがヴィニ・ライリーでしょう。二番目は私かもしれませんが...

このアルバムの成り立ちについてお話ししましょう。曲の多くは2011年、ブリッジウォーター・ホールで開催したプレミア・ショーでのお披露目に向けて作られたものです。

このアルバムの始まりは、友人たちの肖像を音楽で描いた作品群をヴィニが撮影したポートレイト写真と一緒にアルバム化するという企画で「バイオグラフィーズ」と呼んでいました。私はこの思い付きとヴィニが撮った写真を大いに気に入ってました。おそらく私から言い出したアイディアだったと思います。

エルガーやバッハ、ヴィヴァルディといった作曲家たちは友人たちを音楽で描いたロマンチックな作品を残しています。ヴィニ・ライリーなら同じことができるはずだ。私はそう考えたのです。また音楽と写真を一緒にパッケージングしてちょっとした「アート作品」を世に出す良い機会だとも考えました。そうです。結局のところ、私たちは今もトニー・ウィルソンの子供たちなんです。

ヴィニはうなずいてこのアイディアに同意してくれましたが、さてどうなることか。一旦レコーディングの現場に入ってしまえば自分のやりたいようにやる、それが彼です。またスタジオ入りするためなら、どんなリップ・サービスも厭わずやってのける奴です。

私たちの長年に渡るプロデューサーを続けてるイカレポンチ、インチ・スタジオのキアー・スチュワート(Keir Stewarts)が全体の指揮を努め、ジョン・メトカルフェ(John Metcalfe)、テイム・ケレット(Tim Kellett)のほかヴィニの恋人ポピー・モーガン(Poppy Morgan)がピアノ、ドラムと洗濯と士気の担当が私という布陣でした。

集中、そして続く強力な音楽、ヘッドフォンを通じて鳴り続けるユニークなギターの音に合わせ、ドラムキットでガタガタ音を鳴らす、私はこのような場にまた参加できたことを嬉しく思いました。相棒の巨匠くんがゲームの掛け金を引き上げたら、私もそれに食らい付きました。

ところが突然、ポピー・モーガンが演奏を止めてしまいました。起伏の激しいアーティストの気性にはもう耐えられない、別れてアジア旅行に行くと言い出したのです。この出来事により、ヴィンセント・ジェラルド・ライリーは宇宙にさまよい出してしまいました。絶望の淵に滑り込み、「バイオグラフィー」のプロジェクトはエドガー・アラン・ポー風の陰鬱で暗く荒れ狂った失恋物語の様相を呈し始めました。私の勘違いだったと思いたいのですが、そのサウンドはまるで「Pain is Bright(訳注: アルバム LC収録Never Knownの歌詞)」でした。

2011年4月30日、私たちはプレミアショーをブリッジウォーター・ホールで開催、背景スクリーンにヴィニが撮影した写真を投影しながらバイオグラフィーズの曲を演奏しました。ある意味、私たちが悪戦苦闘するさまを披露したようなもので、観客にとっても同様だったと思います。どうにかこうにかショーをやり遂げたのですが、気付いてみると最後の写真が手違いにより終演後もスクリーンに映されたままになっていました。たくさんの観客を見下ろすように映し出されていたのはトニー・ウィルソンの写真でした。彼ならきっと「これこそ『イヴェント』だな」と言ったことでしょう。

その後もポピーは戻って来ませんでしたが、ヴィニは自分のベッドルームに篭り、創作に没入するようになりました。床にひざまずいたり、しゃがんだりしながら、借り物のポータブル・スタジオ機材を使って作曲し、サンプリングし、過去の音源を再加工し、ギターサウンドを入れ、ささやくようなヴォーカルをトラックに追加していきました。今から40年近く前、両親の住む家で作品を作り始めたときとまったく同じ方法です。彼はベッドルームの床に戻ってきたのです。

そのさらに数ヶ月後、ヴィニは玄関で倒れ救急車を呼びました。脳梗塞の発作が起きたのです。このため私たちはアルバム「バイオグラフィーズ」の制作を一旦中断し、ドゥルッティ・コラムの過去作品のリイシューと特別盤のリリース作業に専念することにしました。協力してくれた友人はKookyレーベルのフィル・クリーヴァー(Phil Cleaver)とファクトリー・ベネルクスのジェイムス・ナイスです。私たちは彼らの連帯と紳士的行為に大きな恩を感じています。

入院、治療中も遅々としてではありますが、ヴィニは音楽を続けていました。あるときは病院のベッドに赤いギブソンSGを引き摺ってきて「技能」と健康を取り戻そうとしていました。ギブソンSGならネックが細くて彼の衰えた左手でも握りやすいという理由でこのギターを選んだのです。その後さらにインチ・スタジオへ短時間ながらも通って絶望からの回復に努めました。ビル・ランス(Bill Rance)とローズ・バーリー(Rose Birley)が歌い、キアー・スチュワアートがとりまとめ役を買って出てくれ、演奏のほか彼のあらゆる社交術を駆使して精神の安定に努めてくれました。そしてヴィニ、私は彼をこの戦いのマン・オブ・ザ・マッチに選出します。

いかなることがあろうと「人の胸に希望は永遠に湧き出る」ということです。私と一緒にあなたも肝に命じておいてください。そして私たちはついにこの美しい作品を完成させました。私はいつも車で町中を忙しく走りまわりながら、このアルバムの曲を流しています。とても快適です。もうヴィニからの奇矯な電話に煩わされることもありません。

「アルバムのタイトルはChronicleでいいかな?」彼が尋ねました。
「もしろんさ。Chronicleのパート1とパート2だよ」私はそう応えました。

さて紳士、淑女のみなさん、作品の評価については議会に委ねることをお許しいただければと...

2014年 ブルース・ミッチェル

一時はブルース・ミッチェルでさえ絶望的と言っていたヴィニ・ライリーの体の状態ですが、少しずつギターが弾けるようになってきています。今年5月にはブルースと一緒にChorlton Arts Festivalのステージで演奏もしました。つい先日はSome Kind of Illnessのメンバーと一緒にカフェでギターを弾くヴィニの姿がFacebookにアップされていました

このほか 昨年のインタビューで「ミケーラ・ターナー・ノーラン(Michaela Turner Nolan)という素晴らしいナチュラル・ヴォイスの女性と出会ったんだ。すぐにでも次のアルバムを作りたい」なんて言ってるんですが、女性には注意した方がいいと思うなあ。前のポピー・モーガンだってヴィニの娘くらいの年齢でしょう。Myspaceにはこんな写真載せ ちゃってたし...

まあとにかく、ヴィニが元気になってきて良かったです。案外イメージとは裏腹の助平さんなのかもしれませんが、それが生きる活力になります。

(2015/01/18追記)
アルバムChronicle XLはiTunesやAmazon MP3でもリリースされ、入手しやすくなりました。

2014/11/03

「ファクトリー」番外の名作 Pauline Murray and the Invisible Girls

Pauline Murray and the Invisible Girls

この10月、1980年にリリースされたポーリン・マーレイ・アンド・ザ・インヴィジブル・ガールズ(Pauline Murray and the Invisible Girls)唯一のアルバムが突如、リマスターで再リリースされました。

かのマーティン・ハネット(Martin Hannett)がプロデュースを手がけた知る人ぞ知る名作です。ポーリン・マーレイと彼女のパートナーでありベーシストのロバート・ブレミア(Robert Blamire)を中心に、スティーヴ・ホプキンス(Steve Hopkins)、ヴィニ・ライリー(Vini Reilly)というファクトリー勢とバズコックス(Buzzcocks)のジョン・マー(John Maher)という一部の人々にとっては涙が出るほどの豪華メンバーで作られた作品です。録音はストロベリー・スタジオでジャケットのデザインはピーター・サヴィル(Peter Saville)が担当、レコードは当時RSOというレーベルからリリースされたのですが、事実上の「ファクトリー」作品と言って差し支えありません。

あ、トニー・ウィルソン?トニーもちゃんとレコーディング中、スタジオに顔出してますよ

「ポーリン・マーレイなんて名前、知らない」という方も多いでしょうから、まず簡単にご紹介しておきます。オリジナルのパンク少女です。1976年、イングランド北部、人口数万の小さな都市ダラムに暮していた当時18歳のポーリンは、まだレコード・デビュー前だったセックス・ピストルズのギグを観に行って大きな衝撃を受けます。これこそ自分が求めていたものだ、こうしちゃいられない、自分もステージに立たなくちゃ、そう考えた彼女は近所の楽器を弾けそうな男の子たちをかき集めてバンドを結成します。そのバンドがペネトレーション(Penetration)です。

きわめて早い時期に登場したパンク・バンドということもあり、ペネトレーションは翌年1977年にはもうヴァージンとの契約を果し、ファースト・シングルをリリースします。さらに翌年にはファースト・アルバム「Moving Targets」を発表、UK チャートの上位に食い込みます。

このペネトレーション、パンク・バンドとして売り出されたんですが、実はいわゆるパンクとは一線を画す異なるユニークな音楽性を持っていました。ポーリンのノンビブラート、直球ど真ん中勝負の声、パンクなのになぜかポップで哀愁を帯びたメロディー、妙に整った曲構成とアレンジ。作曲の中心になっていたポーリンやロバートの才能でしょうね。おまけにギターのサウンドがメタルなんですよ。当時パンク・バンドでギターが「キュィイーーン」というのは暗黙の禁じ手となっていたのですが、ペネトレーションのギターは平気でキュィイーーンなんですよ。たぶん近所でメンバー集めたときに「あんたギター弾ける?じゃギター担当で決まりね」って感じでやったので、そうゆうタイプのギターが混ざってしまったのでしょう。結果的にそれがユニークなサウンド作りに大きく貢献しました。

一時は北米ツアーをするくらいまでになったのですが、2枚目のアルバムは思ったように売れず、レコード会社も「パンクはもうおしまい、次!」ということになり、1979年にはもう解散してしまいました。

ペネトレーション解散後、ソロとしての再起をかけたポーリンがマーティン・ハネットに自らプロディースを依頼をして作成したアルバムがこの「Pauline Murray and the Invisible Girls」です。

アルバム再発までの経緯と当時の状況について話をしている最近のインタビューがありましたので、ご紹介します。

ダークなポップ・アルバム。曲は意図してポップにつくろうとしたわけではなくて、自然にそうなったの。わたしの声はすごくキャッチーに録られてるけど、その後に発表された他の音楽のようにクリーンなポップじゃなく、ちょっとトゲがある。

あれはマーティン・ハネットがプロデューサーとしてその後80年代に出したアルバムの青写真的なもの。転換点だったのよ。ちょうどレコーディングをしている最中にイアン・カーティスが自殺をして、異様なムードが取りまいていた。

アルバムはRSOレーベルからリリースされたんだけど直後に突然潰れてしまって、それっきりわたしはレコード会社との契約も無くなってしまった。テープはずっとわたしたち(ロバート・ブレミアとポーリン・マーレイ)が所有していて、何とか再び世に出したいと思ってた。だってあればミッシング・リンクで「ファクトリー」ともつながっているものなんだから。権利も自分たちで持ってたから何度もリリースしようとしたんだけど、力が及ばなかったの。

ところがうれしいことにこの3月、クレスプキュールのジェイムス・ナイスから再リリースについて打診があったの。

あの作品を作ったのは自分なんだけど、当時のわたしはこの上なく落ち込んでいたの。ものすごくつらい時期だった。きっとそのときの気持ちがあのレコーディングに詰まっているんだと思う。ペネトレーションでの経験しかなかったから、マーティンやセッション・ミュージシャンたちとやることに自信がなかったのよ。そんなの初めてだったから。

マーティンと一緒にレコーディングを始めると、なんだか音楽が自分の手を離れていくような気がした。曲のデモを演奏してその録音を聴き直したら、いつの間にかアレンジができ上がってるのよ。まだピアノやストリングス、セッション・ミュージシャンの誰とも一緒に演奏していないのに。

マーティンは他のプロデューサーとは全然違っていた。じゃヴォーカル、もう一度やってみよう、次はきっともっと良くなるよ、なんて言うのが普通のプロデューサー。だけど彼は何ひとつ指示しないの。彼はただバックトラックを流して、わたしはそれに合わせて歌う。またトラックを流してわたしが歌う。それからまた歌う、また歌う、この繰り返し。これが延々10回くらい続くのよ。しまいにはもううんざり。

最近ウェイン・ハッスィー(Wayne Hussey)と話す機会があったのだけど、彼も同じことを言ってた。ウェインはギター・パートを録音してたんだけど、何度演奏してもコントロール・ルームから何ひとつ指示がなくて、10回を越えたところで辛抱たまらずコントロール・ルームに入って行ったら、そこにはマーティン以外誰もいなくて、しかもデスクの下で寝てたんだって。テープだけリピート設定されてたって。万事がこの調子だったのよ。

箱にしまってあったマスターテープは一部音が消えていたりで、期待していた状態じゃなかったの。だけど箱の中には未開封の日本版のレコードが残っていて、それを基準として使うことができたの。技術が発展したおかげ。オリジナルのテープは劣化してひどい音になっていたから、全部マスタリングし直す必要があったのだけど、新品状態のレコードが残っていたのでそれを基準にしてオリジナルのサウンドを再現することができた。ジェイムス・ナイスがすごくいい仕事をしてくれたおかげで素晴しいサウンドに出来上がったのよ。

NTERVIEW: PAULINE MURRAY. INVISIBLE GIRL.

ここで本人が言ってる通り、アルバムはリリースされたもののレコード会社がその直後に倒産、プロモーションが充分に行われなかったせいもあって、音楽誌や一部の人たちにとても高く評価されたにもかかわらず、ヒットには至りませんでした。

その後34年、現在に至るまで彼女はどうしていたのでしょう。これも同じインタビューで語っています。

このファースト・ソロ・アルバムをリリースした後、10インチ・シングルの「Searching for Heaven」も出したんだけど、その後でRSOが潰れてしまいレコード会社との契約がなくなってしまったの。ニューカッスルの家を出てロンドンに3ヶ月住んで、その後ロバートと一緒にリバプールのトックテスへ引っ越したんだけど、その1週間後に暴動が起きた。その頃色々なゴタゴタも抱えていて、家に帰ることもできなかった。音楽の世界から逃げ出したわたしはもう二度とカムバックできないんじゃないかと感じてた。わたしは歌がうまいわけじゃないし、もうおしまい、もうこれ以上続けたくない。次のレコード会社との契約も望めなかったから、音楽の世界に背を向けようとした。

それでもどうにかニューカッスルへ帰って、Chrysalis音楽出版の人に会ってみると、その人はInvisible Girlsのアルバムを作成したとき作曲者契約を担当した人だったの。おかげで何曲か作って、Big Starのアルバムの曲Holocaustのセッションにも参加できた。これで自信がついてまた次のステップに進むことができた。ただ作曲家契約はしたものの文無し。どのプロジェクトもお金にならなかった。自前のレーベルPolestarを立ち上げ、バンドを組んでStorm Cloudsとしてアルバムをリリース、国内で何度かライヴもしてみた。80年代の中頃のこと。誰も興味を持ってくれなかった。

ロバートの家は印刷屋をやっていたから、彼はしばらく帰ってその仕事をすることになった。わたしは1年ほどレストランで皿洗いの仕事をした。それが当時のわたしにはできる精一杯のことだったから。だけどそのおかげで現実の世界に戻ることができた。

リバプールに住んでいた頃から、わたしはいつかリハーサル・スタジオを開きたいという夢を持っていんだけど、偶然にもひとりの地主さんから「この物件をきれいにしてくれるなら家賃は数ヶ月分無料にするよ」って話があったの。わたしは思い切って契約を結んだ。何もないところから始めたんだけど、次第に仕事としての体を成してきて、それが今のPolestarスタジオになったの。

数年前、カウンシルから建物をひとつ買い取って、今の場所に移転したの。メンテナンスされずに放置されてた建物だったけど、自分達で全部直してね。今ではリハーサル・スタジオが4つ、レコーデイング・スタジオも1つあるのよ。マキシモ・パーク(Maxïmo Park)やジョン・アシュトン(John Ashton)もここを使ってるのよ。長いことかかったここまできたの。子供は二人いてもう大人になってる。昔とはぜんぜん違う生活。

2001年にはペネトレーションを再結成して何度か素晴しいショーもできたし、すてきな人たちとも出会えた。数年前、マーティン・スティーヴンソン(Martin Stephenson)の勧めでヴィヴ・アルバーティン(Viv Albertine)、ジーナ・バーチ(Gina Birch)、ヘレン・マコッカリボック(Helen McCookerybook)と一緒に何曲か演ることになって、それがきっかけでアコースティック・ギターを弾くようになったの。まだほんとに数曲しか作ってないんだけど、今までの曲とはまったく違ったものになってる。

1年くらい前からペネトレーションを呼びたいというオーストラリアのプロモーターから話を受けていたのよ。だけどオーストラリアでペネトレーションはほぼ無名のバンドだから、ファン開拓のためにシドニーとメルボルンでアコースティック・ライヴをやって、色々プロモーション活動をすることにしたの。ソロでのアコースティック・ツアーなんて初めてで新たな挑戦だけど、これまでやってきたライヴ同様、すごくやりがいを感じる。ペネトレーションとは正反対のくつろいだ感じのライヴになるはず。

ちょうどこれを書いてる今、ポーリンは初のオーストラリア・ツアーの真っ最中です。

最後に、このアルバムから当時シングル・カットされた「Mr. X」という曲をご紹介します。2014年の今も、充分に聴く価値のある曲です。歌の背後に漂っている特徴的なギターの音はもちろんヴィニ・ライリーによるものです。

言われた通りに笑ってください
次に笑い者になるのはあなたなんです
スポットライトに照らされてるあなたを
みんなが注目してますよ

明日、あなたはお金持ちになってるかも
明日、あなたはお金持ちになってるかも

この白線の上に立ってください
ただのゲームですよ
問題に答えるんです
ではお名前をどうぞ

明日、あなたはお金持ちになってるかも
明日、あなたはお金持ちになってるかも

勝つために屈辱に耐えなくちゃならない
友達がみんな期待してる
だけどどうしたらいいんだろう
勝つために屈辱に耐えなくちゃならない
友達がみんな期待してる

制限時間は20秒
問題は20問です
迷ってるひまはありませんよ
この目隠しを付けてください
では照明を消します

明日、あなたはお金持ちになってるかも
明日、あなたはお金持ちになってるかも

カウントダウン開始です
選択肢は10個、どれを選びますか
生涯もう二度とないビッグチャンスです
でもここであなたの集中力は切れ
言葉が出なくなる

明日、あなたはお金持ちになってるかも
明日、あなたはお金持ちになってるかも

2014/10/11

怒りはエネルギーだ - ジョン・ライドンの自伝第二弾「Anger is an Energy: My Life Uncensored」

1994年に出版された「Rotten: No Irish, No Blacks, No Dogs」に続くジョン・ライドンの自伝第二弾「Anger is an Energy: My Life Uncensored」が10月9日に発売されました。

「えーっ、自伝ってそんなに何冊も出すものなの?」って思いました?いや、自伝/伝記大好きの国イギリスではぜんぜん珍しくないことのようです。それに書くべきことがある、出す価値があるから出すんです。

ということで、最初はおもしろいエピソードでもちょこっと訳して紹介しようかなと思ったんですが、当のジョン・ライドンが宣伝のため、ラジオ、テレビ、出版イベントなどに出演しまくっておりまして、そのひとつのインタビュー記事がすごく良かったもんですから、そっちを紹介します。

まず予備知識のない方のためにちょっと説明しておきますと、ジョン・ライドン、別名ジョニー・ロットンは7歳のとき髄膜炎という病気にかかります。一命はとりとめたものの、高熱の後半年も昏睡状態が続き、目覚めたときには完全に記憶を失なっていました。自分が誰かわからない、両親の顔も覚えていない、言葉も話せない、体の動かし方すら覚束無いという状態です。彼は7歳からその後4年間を自分が誰であったかを思い出すために費します。

怒りは俺のあらゆる種類の記憶を取り戻すために必要なエネルギーだった。完全に記憶を取り戻し、自分が誰で、自分の両親が誰だかわかるようになるまで数年かかった。病院は両親に「とにかく彼を怒らせなさい」と言った。それが記憶を取り戻すエネルギーになるんだって。だけどもしそうしなければ、ずっとこのままだろうって。

不満とかいうレベルの話じゃないぜ。俺は自分自身に対して怒ったんだ。とにかくそのエネルギーのおかげで俺は自分が見つけるべきものを見つけられるようになった。この怒りのエネルギーがあったからこそ、今俺はこうしているんだと思う。おかげで俺は人間として独り立ちできたわけさ。マルコム・マクラーレンなんかがあたかも俺を育て上げたみたいに言ってたが、それより遥か以前のことだよ。

だがまた自分が起き上がれなくなってしまうんじゃないか、自分が誰だか思い出せなくなってしまうんじゃないかという恐怖は今も消えない。これ以上の孤独な思いはほかに絶対ない。両親が俺を憐れんで甘やかしていたら、俺は施設に入れられて、ずっとそのままだったのかもしれない。

というわけで、俺の個性や生命力というものができ上がったわけだ。危機一髪だったのさ。せっかくセカンド・チャンスをもらったんだぜ。無駄になんかできるわけない。

俺の曲に対してその視点や意図に共感を示す人々がいる。彼らはそういうことをすべて理解していて、俺と経験を共有できてるんだ。驚くべきことだよ。

俺にはそこで共有されている痛みが何だかわかる。そういう人間がいれば、同じような経験を共有できる。もちろん細かな点は違っているだろうよ。だけど目を見ればわかる。だから俺はそれを心の奥の闇に閉じ込めるんじゃない、オープンにしなくちゃならない、白日の元にさらそうという気持になるんだ。

だから俺は続けてるんだ。そういうのを見るのがうれしいんだ。だってみんな生きてるってことなんだぜ。「コンサート会場は空っぽだ、ジョン。みんな自殺しちゃったんだ」なんてうれしいわけないだろ。

俺たちはみんな色んなものに対する怒りを抱えている。だが幸いなことに、その怒りをポジティヴに使うこともできる。俺は、歌を作るってことはそれを促すものでなくちゃならないと思ってる。

俺は正しい音程で歌う必要なんてないし、アメリカン・アイドルの予選を通過するためにやってるんでもない。俺はノイズを組み合わせて曲を作る。俺が感じるままのノイズだ。作曲家になんてならなくていい。ただ誠実にやればいい。俺はいつも自分が感じるあらゆる感情を表現しようとしている。ギグで解き放つ感情が歌に命を吹き込むんだ。

曲の中には歌うとき、ものすごく緊張するものもある。たとえばDeathDisco、あれは俺の母親の死について歌ったものなんだ。死で誰かを失うことに慣れることなんてできるわけない。

だがそうした歌を歌うとき、即興演奏というのはジェットコースターになる。俺が今PiLで一緒にやってるのはみんなすっげーいい連中ばかりで、高い技能と許容力を持ち合わせている。彼らがそのノイズとトーン、張り詰めたサウンドで俺をチャレンジしがいのある高みへ連れて行ってくれるんだ。

音楽にはどんな制限もルールもない、完全なる自由、最高の空間だと思うね。その代わりたくさんのものをつぎ込まなくちゃならないが、その価値はある。トレードオフさ。だけどそれだけの価値があるんだ。

'We all have an inner anger which should be used to a positive end' - John Lydon speaks to the SNJ ahead of the Cheltenham Literature Festival

ね、今出す価値、読む価値のある本だと思うでしょ。原著は500ページを越えるぶ厚い本なんですが、Amazon Kindle版はなんとわずか580円で売ってます(580円というのは発売直後のサービス価格だったらしく、現在は通常価格になっています。2015/01/30 追記)。

でも「英語で500ページの本なんて読めないよ」という人が大半でしょう。そうですよね。邦訳出るかなあ。昨今の日本の出版状況からすると、このボリュームの翻訳本が出る可能性はきわめて低いんですよね。そのまま日本語にすると700ページ、800ページというボリュームになってしまうため、値段が高くなる → 売れる部数が限られる → 出しても採算取れない、ってことで、出版社は出すのをためらってしまうんですよね。

でもここは前作「No Irish, No Blacks, No Dogs」を出したロッキングオン、意地見せて出してくれよお。今、一番出すべき本でしょう。全国の小中学校の図書館に必ず一冊は置いとくべき本だよ。

あ、そうそう、本のタイトル「Anger is an Energy」というのは、もちろんPiL(Public Image Ltd)の代表曲「Rise」のフレーズから取ったものです。

それから、この本の出版準備とジーザス・クライスト・スーパースター出演のため、ジョン・ライドンはPiLとしての活動を休止していましたが、12月にライヴ活動を再開、同時にニューアルバムのレコーディングを始め、来年夏発売の予定です。

(関連記事)
ロッキングオンにはジョン・ライドンの自伝「No Irish, No Blacks, No Dogs」の完全版を出していただきたい
May the road rise with you (Rise - パブリック・イメージ・リミテッド)

2014/09/04

あなたたち、今までどこに隠れてたの?(Before The Dawn - ケイト・ブッシュ)

a sky of honey, a photo by Sheldon Wood on Flickr.

かつてポップコンサートにおいて、これほど好意的で、爆発のような轟音の喝采を受けた者があっただろうか。その大歓声に彼女が何と応えたのかよく聞き取れなかったが、おどけてこう言ったのだけは、はっきり聞こえた。
「あなたたち、今までどこに隠れてたの?」

An Ultrahuman: Kate Bush Reviewed Live, By Simon Price

こんなのを読んだだけで「ど、ど、どの口が言うかぁ!」とその場で号泣し始めてしまう長年のファンが後を絶ちません。ケイト・ブッシュ、35年ぶりのフルコンサートが8月26日、ロンドンのハマースミス・アポロ(旧ハマースミス・オデオン)で開幕になりました。一部ニュース・サイトなどでツアーと表現されていますが、正確に言えばツアーではありません。劇場は同じアポロ1ヶ所だけの連続公演です。10月1日まで、1ヶ月あまりの短期間に22回の公演が予定されています。チケットは発売から30分と経たないうちにすべて売り切れてしまいました。

いやね、ロンドンまで観に行くことができなかったんで、初日の成功がTwitter やニュースで報じられるまで、もう心配で心配でならなかったんですよ。だって、前にちゃんとしたコンサートをやったのって1979年だよ、ケイトがデビューして間もない二十歳のときだよ。そのときだってまともなステージ経験もないのに、いきなりイギリス、ヨーロッパで29回のコンサートをやってみんなをびっくりさせたんだけどさ。それが最後、あとはテレビショーで歌ったり、他のアーティストのコンサートにゲストとして出演したりというのが何度かあっただけ。ライヴ活動をまったくしてなかったの。しかもここ20年くらいはニューアルバム出してもキャンペーンで人前に出ることすらほとんどなかったんだから。

ケイトは今、56歳です。同世代のヴィヴ・アルバーティンみたいな例もあることだし、この歳になってステージ・カムバックというのも2014年的には有りでしょう。だけどさ、それならそれで普通は小規模なライブやテレビ出演で肩慣らししてから始めるよね。いきなり3時間におよぶステージを短期間に22回連続でやるなんて馬鹿なこと、誰も言い出したりしないよね。

35年前の自分の経験なんて、赤の他人の経験とさほど変わりありません。そんな長丁場で声は持つんだろうか、体力は持つんだろうか。それより何より、今の自分にステージで人を魅了する力なんてあるんだろうか。みんなをがっかりさせてしまうんじゃないだろうか。長年のブランクで雪だるま式に膨れ上がったファンたちの妄想を受け止める力なんてあるんだろうか。いかなる大スターであっても尻込みせずにいられない状況です。

でもファンならみんな知ってます。ケイトに常識は通用しません。今までもずっとそうだったし、これからも間違いなくそうです。世の中の状況とか流行とか、35年経ってるとか、他人はどうやるとか、常識的にどうだとかそんなの全部ケイトの前では意味を成しません。本人に尋ねたらきっと「あら、そんなに変かしら」ぐらい言うに決まってます。

公演日程も序盤を過ぎました。あとは事故なくすべての公演を終え、観に行くことのできなかった世界中のファンのために、コンサートのビデオが発売されることを祈るのみです。

コンサートの内容についてはtangerineさんという方が初日の様子を詳しくレポートしてくれてるので、以下をご覧ください。

あとね、Twitterなどで「なんだ、初期の曲はやらなかったのかあ」みたいなのをよく見かけますが、ケイト・ブッシュは「今なお前進し続ける常識はずれのアーティスト」です。ケイトは「今が」全盛期です。まだ聴いてない方は最近の三作「Aerial」、「Director's Cut」、「50 Words for Snow」を聴くことを強くお勧めします。

コンサートの1曲目は「Lily」です。アルバム「The Red Shoes」のバージョンしか知らない人も多いと思いますが、近作「Director's Cut」ではこのように変貌を遂げています。このテンションで始まるんだよ。びっくりするよ。

ケイト・ブッシュはなぜ何十年も沈黙し、これをもっと早くやらなかったのだろう。それは彼女が生きて過ごす時間こそがこのショーを実現するために必要だったからなのだと思う。

Tracey Thorn on Kate Bush at the Hammersmith Apollo: the ecstatic triumph of a life’s work

2014/07/19

ジョン・ライドンの自伝はゴースト・ライターが書いた?

John Lydon with Keith and Kent Zimmerman

タイトルはよくある釣りなのであわてないように。ジョン・ライドンの「No Irish, No Blacks, No Dogs(邦題: Still A Punk - ジョン・ライドン自伝)」、書いたのはジョン・ライドン本人じゃなく別の作家ですが、ゴーストじゃなくて表紙にちゃんと名前が書かれています(上の写真)。ジョン・ライドンや周囲の人たちに取材をしてあの本を書いたのはキース/ケント・ジマーマン兄弟です。

ある人物の生い立ちやらエピソードなど、事実を元に書かれた本のうち、別の第三者が書いたものは伝記(biography)、本人が書いたものが自伝(autobiography)と呼ばれています。だから上記ジョン・ライドンの本は分類上伝記であって、自伝ではありません。

原著のどこにもautobiographyなんて書かれていないのに、わざわざタイトルを「ジョン・ライドン自伝」に変更して、表紙からジマーマン兄弟の名前をはずしてしまったのは日本のロッキング・オン社です。責めたい人はロッキング・オンを責めてください。

少し前、日本でもゴースト・ライター騒動がいくつかありましたが、どうして書いた人の名前の隠すような商習慣があるんですかね?「この本おもしろい。この人が書いた本、ほかも読みたい!」ってなっても、隠してたらわからないじゃない。

一方でロッキング・オンが出した日本語版、翻訳はすごくいいんです。口語が生き生きと訳されています。勉強になります。オラなんか、英語翻訳の教材として今でもよく読み返してます。ところがですね、翻訳者の名前がどこにも書かれていないんです。ひどい。

で、長いこと誰が訳したのかわからなかったんですが、数年前、偶然Amazon のページを見て、竹林正子さんが翻訳したものと判明しました。Amazon は権利関係をデータベースで管理しなければならないため、著者、翻訳者などをちゃんと表示してるみたいです。

今の若い方は知らないでしょうが、昔のロッキング・オンは「俺たちはスターを崇めたりしない。主役はスターじゃなくて、聴き手の俺たちの方だ!」という雑誌だったんですよ。で、英語の歌詞で言ってることもろくに理解しないまま、スタッフが強引な解釈を書きまくってて、逆にそれがおもしろい雑誌だったんです。それがいつから「主役の俺たち」をスターの影に隠すような商売になってしまったかなあ。あ、どれくらい昔かというと、1970年代、ロッキング・オンの値段が280円だった頃の話です。

2014年7月現在、「STILL A PUNK―ジョン・ライドン自伝」は品切れになっていて再版の予定がないみたいなんですが、ロッキング・オンには、諸々の反省を踏まえ、初心に立ち返り、著者名、翻訳者名を正しく表記、さらに大幅にカットした内容を追加して、「No Irish, No Blacks, No Dogs (完全版)」を出版していただきたいと思います。

伝記、自伝の話をもうちょっと続けると、イギリス人ミュージシャンってよく自伝とかバイオグラフィー出しますよね。これ伝統なんだそうです。イギリスでは伝記がよく読まれていて、伝記を書く人の社会的な地位も確立されてるそうです。伝記がイギリスの長編小説に大きな影響を与えてきたそうです。丸谷才一さんがそう言ってるので間違いありません

ジョン・ライドンの本を書いたジマーマン兄弟はアメリカ人ですが、この本を書いたことで実力が認められて、ミュージシャンの伝記だけじゃなく、色々な本を書くようになったそうです。あ、アリス・クーパーの「Golf Monster」もこの二人が書いたものです。

あと何だったかな。そうだ、ジョン・ライドンはホンモノの自伝をこの10月に出します。今回はちゃんとautobiographyって言ってるので本人が書いてることは間違いありません。ただしひとりじゃ無理なので、Andrew Perryって音楽ジャーナリストとの共著になるって正直に言ってます。Amazon UKにはもう載ってます。タイトルは「Anger is an Energy: My Life Uncensored」。

(追記)
よく調べてみると、No Irish... 初版の表紙にはThe Autobiographyってサブタイトルが書かれていたことが判明。つまりジョン・ライドン自身も執筆してたんだね。ごめん、ロッキング・オン、「ジョン・ライドン自伝」で間違ってなかったのな。それから竹林正子さんの名前も奥付に書いてあった。許してください。ということで、この文章自体が単にロッキング・オンに難癖つけただけみたいになってしまいましたが、それでももちろん完全版は出すべきだぞ。

(関連記事)
ロッキングオンにはジョン・ライドンの自伝「No Irish, No Blacks, No Dogs」の完全版を出していただきたい
怒りはエネルギーだ - ジョン・ライドンの自伝第二弾「Anger is an Energy: My Life Uncensored」

Clothes, Clothes, Clothes. Music, Music, Music. Boys, Boys, Boys - ヴィヴ・アルバーティン自伝

Clothes, Clothes, Clothes. Music, Music, Music. Boys, Boys, Boys, a photo by themostinept on Flickr.

自伝なんて書いて出すのはバカか文無しに決まってる。ま、私はどっちにも当てはまるかもね。

ヴィヴ・アルバーティン(Viv Albertien)が50代後半になってソロで復活、デビュー・アルバムをリリースしたのは一昨年のことです。BBC 6 Music なんかけっこうプッシュしてたのですが、案の定、ごくごく一部を除いてほとんど話題になりませんでした。もちろんそんなことでメゲるヴィヴではありません。その後これといってライヴ活動もないままどうしていたかというと、ジョアナ・ホッグ監督の映画「Exhibition」で主演をつとめた後、自伝の執筆活動をしていました。執筆ったって書斎の机で書いてたわけじゃありませんよ、いつもの通り台所のテーブルで書いてたんです。

その自伝「Clothes, Clothes, Clothes. Music, Music, Music. Boys, Boys, Boys」は5月に出版されたのですが、これがイギリスでまさかの大ヒット、ヒースロー空港の書店のベストセラー・コーナーに陳列される事態にまで発展しています

ヴィヴのやっていたバンド、スリッツ(Slits)は、もちろん音楽ファンの間では元祖ガールズ・パンク・バンドとして有名ですけど、イギリスでさえ一般の人たちが誰でも知っているような存在ではありません。当然ほとんどの人は「ヴィヴ・アルバーティン?誰それ?」って感じのはずです。なのに自伝が大ヒットしたのはなぜなんでしょう?たぶんスリッツやヴィヴをまったく知らない世代にも共感できることが書かれているからなんだと思います。

本の内容ですが、ヴィヴの子供の頃から現在に至るまで、様々なことが「率直に」書かれています。何もそこまで書かんなくてもってとまで全部書いてあります。普通ここまであけすけに書いてしまうとスキャンダル狙いの売名行為とか言われかねないのですが、あまりにも堂々と率直にこれでもか、これでもかというくらい書かれているため、もはやそのような中傷のつけ入る余地すらありません。そうやってすべてを曝け出して生きるのがヴィヴ・アルバーティンという人間の生き方なんだ、って本です。

日本での出版予定はまだ無いので、ちょっとだけ中身をご紹介しましょう。貧乏な母子家庭にありながらも、ファッション大好き、音楽大好き、男の子大好きですくすくと育った少女ヴィヴは、アート系の大学に通いそこで(後にクラッシュを結成する)ミック・ジョーンズと出会い、セックス・ピストルズのライヴを観て、自分自身でステージに立つ決心をします。

音楽の道に進み、どこかバンドに入るために大学をやめる。次に私がしなくちゃならないのは、それをママに話すことだった。私はママと一緒にロンドンの31番路線バスに乗った(景色がすばらしくて、私はよく用もないのにカムデン・タウンからノッティング・ヒルまでこのバスに乗っていた)。二階の前の席に座ってとりとめのないおしゃべりをした。

私は両足の間にギターを挟んで座り、ピストルズやらクラッシュやら、私が出会ったバンドの色んな人たちの話をした。ママはうんうんってうなずいて笑っていた。ママは私がずっと音楽に夢中なことをを知ってたし、私が楽器を習ってることを自慢に思っていた。今が私の計画を話すチャンス、そう思った。私は情熱的を込めて訴えた。
「ママ、私、大学をやめてバンドをつくろうと思うの!」
それを聞いた途端、ママは泣き出した。

ママを連れてバスを降り、チッパンハムのパブに入った。ママにお金を借りてレモネード・シャンディをひとつ頼み、半分ずつ二つに分けてテーブルに運んだ。ママは私を大学に入れるため、懸命に働いていた。大学へ進学した子供は親戚の中でも私が初めてだった。私の本や洋服をを買うため、ママは昼間の仕事が終わった後、夕方からクリーニング店で働いていた。だから私はまわりに貧乏だと思われたことなんてなかった。ママはいつも私を信頼して、考えを尊重してくれた。それなのに私は学校をやめようとしている。まだギターだって弾けやしないのに、学歴を得るチャンスをみすみす手離そうとしている。

自分が一体何をしようとしているのか、それは充分わかってる。それをママに伝えなくちゃならなかった。
「ママ、私の着てるものを見てよ、誰もこんな格好してないでしょ。私、みんなとは違うのよ。ママは私がどれだけ音楽が好きか、よく知ってるよね。」
ママはうなずいて、力なく笑おうとした。

ヴィヴ・アルバーティン、結構、かなりしょーもない娘です。思い込んだらまっしぐら、の割に実力や準備が伴いません。世のお母さんたちは、思わず引っぱたきたくなってしまうかも知れません。あるいは自分の昔を思い出して赤面してしまうかもしれません。 それでも彼女は様々な紆余曲折、みっともないこと、恥しいことを散々やった挙句、スリッツにギタリストとして参加、クラッシュのホワイト・ライオット・ツアーに同行することになります。この時点でヴィヴにはまだほとんどステージでの演奏経験がありません。初めてのステージがいきなりツアーで、当時流行していた観客からの唾吐きの洗礼を受けます。

「ワン、ツー、スリー、フォー!」
曲は Shoplifting で始まった。ギターのチューニングがズレてたって、そんなの知らない。アリからときどき指摘されたけど、一体私にどうすれって言うのよ、ギターのチューニングなんてできないのよ。それでも演奏を続け、とにかく15分間のステージをやり切らなくちゃならない。

ステージの間中、唾の雨が嵐のように降り注いできた。私の髪は大量の唾だらけになった。目やギターのネックも唾で覆われた。滑ってギターのコードも押さえられない。アリを見たら、歌ってる彼女の口の中にも唾が入っていた。アリがそれを吐き出したのか飲み込んだのか、そんなこと知らない。自分の手が滑らないように注意してるだけで精一杯。

前列にいた観客がアリをステージから引き摺り降ろそうとした。すぐにみんな演奏をやめて、そいつらに襲いかかった。私はギターで殴った。パームオリヴもその連中をぼこぼこに殴った。警備員が来て、連中が顔から血を流したまま連れて行かれた後、私たちは演奏を再開した。

あっという間だった。楽器を床に叩きつけてステージを出た。ビールの缶が2、3個飛んできて、誰もいなくなったステージの上でガチャンと音を立てた。ミック・ジョーンズがステージの袖で待っていた。
「上出来だよ」
そう言って彼は私にキスをした。

どう?続きを読みたくなるでしょう。スリッツやパンクのこと、全然知らなくてもおもしろいよ。だけど英語で400ページ越えるぶ厚い本なんで、翻訳が出版される可能性はかなり低いんです。音楽ファンだけをターゲットに翻訳出したら絶対に赤字。もっと広く、パンクなんて知らないって人にも読んでもらえる本だと思うのだけど、今の日本の出版社にはそんな余裕ないかなあ。イギリスでは映画化の話が出てきてもおかしくないくらいの勢いなんですけどね。

それからヴィヴを支えてくれたママは、この本の出版記念イベントの当日に亡くなったそうです

(関連記事)
おばさんを甘く見るとウィッカーマンで焼かれるぞ The Vermilion Border - ヴィヴ・アルバーティン
靴は脱いでってば! (Confessions of a MILF - ヴィヴ・アルバーティン)

2014/06/07

神様ってのはそういう者を愛するんだろ? - ジョン・ライドン出演のジーザス・クライスト・スーパースター、全公演中止

Bilbao BBK Live 2013 PIL, a photo by Dena Flows on Flickr.

ジョン・ライドンがヘロデ王役で出演、今月9日のニューオリンズを皮切りに、北米54箇所をまわる予定だったミュージカル公演、ジーザス・クライスト・スーパースターの US ツアーは5月末の開始直前になって突然中止が発表されてしまいました。こんな大規模なツアーがぎりぎりになって中止されるなんてよほどのことなんですが、公式サイトには何も理由が書かれていません。出演者やスタッフも同様に、満足な説明なしに突如中止を告げられたようで、Twitter にも出演者らの怒りの声が上がってました

数日経って、プロモーター Michael Cohl がニュースサイトの取材に応じました。記事によると要するに「チケットがぜんぜん売れなかったので中止にした」ってことです。

アメリカの興業商売のことはよく知りませんが、こうゆうのってよくあるんですかね?なんか素人目には大々的にぶち上げてみたはいいけど資金が思うように集まらなくて、プロモーションにお金かけられなくて、それでもチケット売り上げで自転車操業しながらツアーやろうとしたけど、それもダメで万事休す、みたいに見えるんですけど。この Michael Cohl はミュージカル「スパイダーマン:ターン・オフ・ザ・ダーク」でも失敗してるんで、そっちの負けを取り戻そうとしてあせったんじゃないの?

まあ、一度中止が決定すると、あれこれ言っても再開されることはないので仕方ありません。初のミュージカル出演のため張り切って準備していたジョン・ライドンはこう言ってます。

そのプロモーターとかいう奴とは一度ニューヨークでモメてるんだよ。あいつのことは気に入らなかったし、本能的に信用できない奴だと思ってた。

きっとみんながあっと驚くような中止理由を説明してくれるだろうよ。(プロモーターの)コール君は何で俺に電話しなかったんだ?5ドルくらいなら貸してやったのに。

どんな運命が待ち受けていようと、俺はそれを受け入れ最善を尽くすだけさ。神様ってのはそういう者を愛するんだろ?

次か?次はバレエをやることになってるんだ。

Anger for ‘Jesus Christ Superstar’ Cast, and a Black Eye for Its Promoter

ということで、ジョニーおじさんのヘロデ王は幻に終わってしまいましたが、彼のバレエ、白鳥の湖にご期待ください。

2014/05/01

ハゲで太った中年の人魚がきみに会いにきました (Greens and Blues - ピクシーズ)

昨年、ピクシーズ(Pixies)のおじさんたち三人は、新作のレコーディング直前、長年一緒にやってきたキム・ディール姐さんに突如三行半(みくだりはん)を突き付けられてしまいました。何でなのか分からない。何が悪かったんだろう?三人は途方に暮れました。

それでも新作のレコーディング用にスタジオも予約しちゃっていたし、いつまでもお布団の中で泣いていられない、三人はがんばってレコーディングしました。がんばってちゃんとしたものを作りました。それで新しいベーシスト、キム・シャタックを迎えてツアーにも出ました。ところが半年も経たないうちに新しいキムをクビにしてしまいました。しかもそのことをブラック・フランシスたちは直接キムに伝えず、マネージャーに言わせたというのです。

そりゃあねえ、キム・シャタックがしっくり来なかったというのは傍目(はため)にもわかりますよ。だけどねえ、そうゆうことはやっぱりメンバー自身の口からちゃんと伝えるべきことじゃないの。そうゆうウジウジなとこがキム・ディールに見放される原因だったと思うよ。

それでまた三人はお布団にもぐり込んだのかというとそんなことはなくて、EP、アルバムと立て続けに発表、新作のプロモーションも積極的にこなしました。昨日、今日、ウジウジし始めたわけじゃなくて、デビュー以来一貫してウジウジしてる人たちですから年季が入ってるんです。

そんなウジウジ三人組を天は見放さず、パズ・レンチャンティンという新しい女性ベーシストを授けてくれました。このパズがすごくいいんです。パズがベースのヘッドに赤いお花を付けて「ぱらぱっぱっぱー」と歌うと、ああ、新しいピクシーズが生まれたんだなって実感できます。

アルバム「Indie Cindy」制作の段階ではまだパズは参加しておらず、パズはまだ正式メンバーというわけではないみたいなんですが、今度こそ三人揃ってパズに「ぼくらと一緒になってください」と頭を下げるべきだと思います。

ということで、ハゲで太った中年の人魚がきみに会いにきました。本人はたまたま立ち寄っただけなんて言ってますが、もちろん嘘です。

たしかにぼくはの心は、ここにあらずってやつだね
すぐにバラバラになって森の中を彷徨(さまよ)ってしまうんだ
ちょっと気味悪く感じたとしたら
申し訳ない、許してほしい

ぼくは自分が人間だなんて言ったけど、そう、嘘なんだ
この浜辺にはたまたま立ち寄っただけで
すぐ海の向うへ出発しなくちゃならない
またきみと会えることを祈るよ

ぼくはおしゃべりばかりして、きみの時間をムダにしてるね
もう家に帰りたいのかもしれないのに
でもすぐにぼくはここを離れる、そしたらきみはぼくのことなんて忘れてしまう
ぼくは(みどり)(あお)の中に、すっと消えてしまう

ぼくは自分が人間だなんて言ったけど、そう、嘘なんだ
この浜辺にはたまたま立ち寄っただけで
すぐ海の向うへ出発しなくちゃならない
またきみと会えることを祈るよ

ぼくはおしゃべりばかりして、きみの時間をムダにしてるね
もう家に帰りたいのかもしれないのに
でもすぐにぼくはここを離れる、そしたらきみはぼくのことなんて忘れてしまう
ぼくは翠と碧の中に、すっと消えてしまう

翠と碧の中に
翠と碧の中に

2014/04/05

「この俺がイエス様と一緒に歌うんだぜ。これ以上のことをいったい誰が何を望むっていうんだよ」ジョン・ライドン、ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」にヘロデ王役で出演

PIL @ Atlantico Live, Roma - 27 ottobre 2013, a photo by GoldSoundzIt on Flickr.

2010年以降、毎年春になるとライヴツアーを開始している PiL が、なぜか今年は何の音沙汰もありません。ジョン・ライドン、せっかく調子出てきたのに今年はお休み?と思っていたところ、昨日、驚きのニュースが発表されました。

ジョン・ライドンがミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」にヘロデ王役で出演。6月9日から北米54都市をツアーします。

ファンとして2009年に復活してからのはジョンの活躍ぶりを見て、そろそろ映画やドラマから出演の声がかかるんじゃないかなって思っていたんですが、まさかの舞台ミュージカル、あろうことか「ジーザス・クライスト・スーパースター」、これはまったく予想してませんでした。

この俺がイエス様と一緒に歌うんだぜ。これ以上のことをいったい誰が何を望むっていうんだよ

さて、このミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」、舞台や映画の DVD が発売されていて、国内では劇団四季の演目にもなってるので観たことある人も多いかと思います。一方で「キリスト教礼賛ミュージカルでしょ?何でそんなのにジョン・ライドンが出演?興味ないね。」という人が結構いるかもしれません。別にキリスト教やミュージカルに詳しいわけじゃありませんが、そんな人たちのためにオラの生半可な知識で簡単にご紹介しておきます。

まずこのミュージカル、最初からミュージカルだったわけではありません。最初はレコードだったんです。アンドリュー・ロイド・ウェバーというイギリス人の作曲家が曲を作り、ロック・ミュージシャン達を雇い、キリストが処刑されるまでの7日間の話を元に演劇仕立てのレコードを作ったんです。このレコードが大ヒットしたためその後で舞台化が実現しました。ミュージカルの初演は1971年ですが、40年以上を経た今もウェバーが立ち上げた劇団 The Really Useful Group を中心に世界中で上演が続いている作品です。

で、中身はですね、イスカリオテのユダとキリストのお話です。

時代は現代なのか大昔なのかよくわからないようになっています。とにかくユダヤ人の国イスラエルがあります。形式的にイスラエルは独立した国でヘロデ王というのが統治してるんですけど、実質的にはローマ帝国の支配下にあります。民衆たちは貧困や圧政に苦しんでいます。

そこに「神の子」を名乗るひとりの青年キリストが現われ、病気の人を治したり、パンのかけらを籠いっぱいに増やしたりの奇跡をおこなったため「彼こそユダヤの王だ」と大評判となり、彼を慕う人々が大勢集ってきます。一方、権力者たちはキリストに集まる人々の動きを警戒します。これ以上騒ぎが大きくなってはローマから反乱の動きと捉えられかねないからです。ローマと戦争になったのではイスラエルはひとたまりもありません。

その気配をいち早く察知し、キリストやその支持者たちに危害が及びかねないと心配した友人のユダは、キリストに警告します。「もう神の子を名乗るのはよせ。普通に大工として生きればいいじゃないか」。しかしキリストはユダの言葉に耳を貸そうとしません。キリストは自信たっぷりで、娼婦マグダラのマリアに膝枕でナデナデされて喜んだりしています。ユダは思い悩んだ末、キリストや人々を守るため、権力者たちによるキリストの逮捕に手を貸します。

キリストは逮捕されたといっても別に盗みや殺人を犯したわけではありません。「神の子」を名乗ってるだけです。普通なら「おかしなことを言って人々を惑わせるな」でムチ打ちとかで済むはずだったのですが、権力者間の責任の押し付け合い、責任転嫁のせいであれよあれよという間に十字架にはりつけられることに。そして思い余ったユダは...。

何だかいつの時代も世界中のどこでも変わんないねえ、というお話です。ユダとキリストの間に同性愛的な雰囲気が漂い、見方によってはマグダラのマリアを加えての三角関係のお話とも取れます。

今でこそ「ジーザス・クライスト・スーパースター」はミュージカルの名作としての評価を確立していますが、発表当時は「神への冒涜だ!」と大変なバッシングを受けた作品です。だから「俺はアンチ・キリストだ」「教会は犬(Dog)をさかさまにしただけの God に祈りを捧げる場所」と歌ったジョン・ライドンを選んだのも、当然といえば当然の成り行きです。

今回、我らがジョン・ライドンが演ずるのは傀儡(かいらい)のユダヤ王、ヘロデです。出番は少ないのですが、このミュージカル一番の憎まれ役です。ビデオは2000年の映画版、リック・メイオールのヘロデ王ですが、これをジョン・ライドンが演じるとどんなことになるのか、すごく楽しみ。

(2014-06-07追記)このミュージカルは残念なことに中止になってしまいました。
神様ってのはそういう者を愛するんだろ? - ジョン・ライドン出演のジーザス・クライスト・スーパースター、全公演中止

2014/01/20

真実と伝説なら伝説を選べ - 映画「24 Hour Party People」

The man who put latex gloves on

先日 Chromecast を入手しました。テレビの HDMI 端子に差して YouTube なんかの動画をテレビ画面で表示する装置なんですけど、なかなか便利です。PC だって最近のディスプレイは大きいし、大して変わらないんじゃね?と思ってる人がまだ多いんじゃないかと思いますが、違うんですよ。テレビだと「ね、ね、おもしろいの見つけた、見て、見て!」ってすぐ家族に見せられるし、スマホ使って寝転がって操作できるんです。それに Google Play で映画をレンタルしてすぐにテレビで観ることもできます。

ということで、見損ねていた映画を色々借りて観たりしてるんですが、その中のひとつが「24 Hour Party People」です。イギリス、マンチェスターの音楽レーベル「ファクトリー」そしてクラブ「ハシェンダ」の栄枯盛衰を経営者のトニー・ウィルソンを中心に描いた映画です。ファクトリーの音楽同様、一部に熱狂的なファンのいるカルト的な映画です。10年以上前の映画ですいません、今まで観たことなかったんです。

10年遅れて観た奴が偉そうに言うのも何ですが、字幕の誤訳を発見してしまいました。字幕の誤訳なんて珍しくも何ともありませんが、ちょっとこれは映画のテーマにも関わる部分だと思うので、ファンのみなさんのためにも書いておきます。

映画の前半、セックス・ピストルズのライヴを観て新しい音楽文化の誕生を感じたトニー・ウィルソンはライヴ・ハウス商売に乗り出します。マンチェスターのライヴハウスを週1日だけ借り切って、そこに毎週自分が目を付けたバンドを出演させるという企みです。初日の盛況ぶりに気を良くしたライヴハウスのオーナーは、駐車場に停めたワゴン車に娼婦を呼んでそこにトニーを誘います。トニーは最初こそ遠慮したものの、ちゃっかりご相伴にあずかります。

その駐車場にトニーを探して彼の妻リンジーがやってきます。何やら怪しい物音のするワゴン車のドアをリンジーが開けると、娼婦の頭を股間に当てがったトニーの姿がありました。怒りに震えるリンジーはライヴハウス店内に戻り、トニーへの当て付けとしてハワード・デヴォートを誘います。

一方、コトが済んだトニーは店内に戻って妻を探しますが、今度はリンジーが見つかりません。トニーがトイレへ行くと奥の個室で怪しい物音がします。近づいてみると、ドアを開け放したままリンジーとハワードがフン、フン、フン、アン、アン、アンと行為の真っ最中でした。それでもトニーは冷静を装ったままリンジーに「失礼、車のキーは?」と尋ねます。リンジーもまた体勢はそのままで「バッグの中」と答えます。バッグから鍵を取り出したトニーは「ぼくは口だけだったけど、君はフルじゃないか」と捨てゼリフを残してその場を立ち去ります。それと同時にフン、フン、フン、アン、アン、アンの声が再開します。

さて問題のシーンはここからです。まずは日本語字幕版の通りに紹介します。

トニーが立ち去るトイレにゴム手袋をして洗面台を清掃している男がいます。黒ぶちメガネにスキンヘッドの男です。彼はおもむろに顔を上げてこう言います。

忘れたい出来事だった

その瞬間映像は停止してトニーのナレーションが入ります。

これはハワードの実話だ。僕らは水に流すことで同意したらしい。僕は賛成する。ジョン・フォード監督の「真実と伝説なら伝説を選べ」に

何となくわかったような、わかんないような、ちょっと変なセリフだと思いませんか?実はここの訳が変なんですよ。

この映画、登場するのはみな実在、あるいはかつて実在していた人ばかりなんですが、トニー・ウィルソンを始めすべての人物(ただしマーク・E・スミスを除く)を俳優が演じています。ですが、何人か本人がエキストラで出演していて、トイレ掃除をしていたのがハワード・ディヴォート本人なんです。

もう一度問題のシーンに戻りましょう。今度は英語原文と一緒に私の訳でいきます。ハワード・ディヴォート役の俳優がリンジー役と奥の個室でフン、フン、フン、アン、アン、アンとやっています。そこでトイレ掃除夫役のハワード・ディヴォート本人が顔を上げてこう言います。

これはまったく身に覚えのないことなんだ

I definitely don't remember this happening

この瞬間映像が停止してトニーのナレーションが入ります。

こちらがホンモノのハワード・ディヴォートだ。彼とリンジーは、これは事実じゃないと言い張っている。だが僕はジョン・フォード監督の言葉を支持する。「真実と伝説なら伝説を選べ」だ。

This is the real Howard Devoto. He and Lindsay insist we make clear that this never happened. But I agree with John Ford. When you have to choose between the truth and the legend, print the legend.

これならちゃんと意味が通りますよね。この映画がどんな映画であるかを登場人物自身が宣言しているシーンです。虚実ない交ぜの映画だよってバラしちゃってる重要なシーンです。

人間ねえ、これは真実だ、これが事実だって強く主張すると却って疑いの目で見る一方で、こんなの伝説だよ、虚構だよって言うとなぜかそこに真実を見い出そうとする変な癖があるんです。

前述の字幕はどうしてこんな間違いしちゃったかなあ。たぶんトイレの掃除夫がハワード・ディヴォートだと分からなくて「なんでこんなところで掃除夫がセリフを言うんだろう」って疑問を感じながら雰囲気で適当に訳しちゃったんだろうな。

あ、ハワード・ディヴォートって誰だか知らない?マガジンのヴォーカリストのハワード・ディヴォートです。次の映像は1977年、ちょうど映画のシーンと同じ頃にマガジンがトニー・ウィルソンの番組「So It Goes」に出演したときのものです。冒頭ちらっと映っているのがホンモノのトニー・ウィルソンです。

(2014/01/21 追記)

「"print the legend" が何で "伝説を選べ" になるの?」という質問をいだだきましたので捕捉します。

そうだよねぇ、今どきみんなジョン・フォードとかジョン・ウェインなんて知らないもんねぇ。これはですね、ジョン・フォード監督の映画「リバティ・バランスを射った男 (The Man Who Shot Liberty Valance)」に出てくる新聞記者の有名なセリフなんです。トニー・ウィルソンのセリフとはちょっと違います。

ここは西部です。事実が明らかになっても伝説のほうを記事にするんです

This is the West, sir. When the legend becomes fact, print the legend

新聞記事にして発行するから print なんです。あまり色々書くとこっちの映画のネタバレになってしまうので、興味ある人はジョン・フォードの映画をご覽ください。