http://en.wikipedia.org/wiki/File:The_Equatorial_Stars.jpg |
フリップ & イーノ(Fripp & Eno)約30年ぶりの新作、タイトルは「The Equatorial Stars (赤道直下の星)」。ベランダでおふとん干して、アイス食べながら聴いた。このアルバムに対するイーノのコメントは以下の通り。
最初はうまくいかなかった。私の靴は小さなグリーンのランプが点灯してる小さな黒いボックスの、小さな赤いボタンスイッチを押さなくちゃならなかったのだけど、その小さなボックスについてるボタンは、私たちのすごく変わったやり方のため説明が嫌になるくらいややこしい録音方法の開始を、説明するのが嫌になるくらいややこしい方式でデジタル録音機に通知するものだった。
私の靴が犯したミスに気づかないまま演奏のための準備は整い、我々の努力が効率的に淡々とビットからビットへ、バイトからバイトへ、説明するのが嫌になるくらいややこしい方式で記録されるはずだったのだけど、説明するのが嫌になるくらい間違ってた。
不必要に曖昧にならないように、普通のデジタル方式でやろうとしたのが間違いの元だ。約束する。ここでもうこの言葉は使わない。
私たちの最初の演奏は、かつて地上の誰ひとり聴いたことがないような素晴らしいものだった。天上の天使たちは妬みのあまり顔色を変え、自分たちの仕事がもうすぐなくなってしまうんじゃないかと不安に駆られたはずだ。悪魔たちはすすり泣き、歯ぎしりして、こんなにも素晴らしい音楽を作る私たちの魂の買収計画を準備していたに違いない。でも聴き返してみると、それは傑作でも何でもなかった。何も聴こえなかった。はっきり率直に言って、何もなかった。いや完全な無じゃなくわずかに何かあった分、無よりひどかったかもしれない。それは大きな鉄板を用意して、カラシニコフ銃あるいは類似品の軽機関銃でめちゃめちゃに打ち抜いたときの音によく似ていた。あるいはその穴だらけになった鉄板を頭の上にかざし「ゴッホのアルルの夜空」とつぶやいて穴越しに眺めたときの視覚体験のようだった。
この事件を引き起こした私の靴の片方(私には足が二本ある)、その靴は5日ほど前にオランダで買ったものでつま先が異様にとんがっていた。靴は私たちに入ってきたはずの売り上げをおじゃんにしてしまい、私たちは二度と最初にやったような演奏ができず、10ギガバイトにもおよぶ2時間分のビット情報だけが残された。どっと疲れが出た。オーブンのようにコンディションが変わるスタジオで日ごとに時間だけが過ぎていく...。そしてロバートはのどかであまりデジタル化されていない生活に戻ってしまった。ただし長距離通勤でテネシー州のナッシュビルと Bredonborough やドーセットを行き来する生活。数週間後、私はしかたなく泣き叫ぶテープをじめじめした迷宮から引きずり出し、尋問を始めた。引き伸ばしたり、押しつぶしたり、切り刻んだり、いじめたり、すりつぶしたり、歯ぎしりさせたり、波立たせたり、いらない部分を捨てたり、ループさせたり、分類したり、切ったり、えぐったりしてもまだ何も掘り出されるべき秘密がないなんて信じられない。何もない。
私たちの次のミーティングは良い天気にめぐまれた。木曜だった。