2011/01/29

煮えたぎる少年 (Boiling Boy - ワイアー)

この曲が最初に収録されたアルバムは「A Bell is a Cup (1988)」なんですが、翌年発表の「IBTABA (1989)」にはライブバージョンが入っています。「It's All in the Brochure (2000)」にも入ってます。今回の「Strays」で4回目のオフィシャルな録音ということになります。もちろんライブでも度々演奏されている曲なので、Legal Bootleg series にも3回くらい収録されています。しつこいです。こだわっています。年季が入ってます。

ワイアー(Wire)の曲の例に漏れず、この曲も歌詞は何を言ってんだかよくわからない内容です。ただし例によって、それが何だかとってもうつくしいものに聴こえます。だから帽子はしまっておきなさい。

西風からの贈り物
暗く、深く
密かな夕暮れに
気味悪いのが届く

帽子はしまっておけ
帽子はしまっておけ

展望ある前進
おうちで練習するために
主義との決別
おうちで練習するために
衝突を決断
おうちで練習するために

帽子はしまっておけ
帽子はしまっておけ

彼が自分の魂を
イメージの中に移すと
原子が励起し
暗闇の中で白く輝き出した
煮えたぎる少年は錯乱のかたち
だけど彼には強みがあった
コールドスタートできる心臓

帽子はしまっておけ
帽子はしまっておけ

あ、それから US インターネット・ラジオ局の Daytrotter のサイトでは、この曲を含む4曲(2008年のスタジオライブ)の MP3 ファイルがダウンロードできるようになっています

German Shepherds - ワイアー

先日、ワイアー(Wire)の CD「Strays」が届きました。「Red Barked Tree」を直接 pinkflag.com から購入した人だけに送られてくるオマケ CD です。「Red Barked Tree」は flac 形式のダウンロード版を購入したのですが、「Strays」は CD が郵送されてきました。オマケは先着2,000名限定ですがサイトにはまだ案内が出ているので、今すぐ申し込めばまだ間に合うと思います。

収録曲は「Red Barked Tree」と同時期にスタジオで録音されたもので、アルバム本編からあぶれた(stray)4曲ですが、いずれもライブでは長い間演奏され続けてきた曲です。アルバム本編はワイアー正規メンバーの3人だけで作成されましたが、こちらには助っ人の Margaret McGinnis や Matt Simms も参加しているそうです。

  1. Boiling Boy
  2. German Shepherds
  3. He Knows
  4. Underwater Experiences

German Shepherds はアルバム「IBTABA (1989)」にも入っていた曲で、この曲に出てくるフレーズ It's Beginning, To, And Back Again の略がアルバムタイトルになっています。IBTABA 収録バージョンはメロディがあまりはっきりしないアレンジでしたが、今回のバージョンはメロディアスでなぜか Map Ref. 41°N 93°W そっくりです。「Red Barked Tree」収録の Clay も I am the Fly みたいだったし、このへんどうもグレアム・ルイス(Graham Lewis)がお茶目なようです

三頭の犬が飛んでいた
上で吊っていた男は
円の正方形化と禅を学んでいた
年老いた女が
酔ってゴミ箱におしっこをしていた
あまりに高く飛びすぎて
止まらなくなっていた
写真を持った男は出番を逃した
この雨の中、傘は役に立たず
鳥が横たわって血を流していたが
ぼくはその首を
ひねることができなかった
会ったこともない教祖様から
電話料金の請求書が届いた

ぼくを急かさないで
もう始まってるし、また元に戻るんだから
ぼくを急かさないで

ちょうど今
機会を生かせるかもしれない男がいる
ぼくは彼の中に閉じ込められて
時間を無駄にしたくない
彼には見る目がある
ぼくらは一緒に靴を片方投げた
うまいことに
また立場が逆転したことが
明らかになった

ぼくを急かさないで
もう始まってるし、また元に戻るんだから
ぼくを急かさないで

2011/01/23

エゾシカ問題を考える (Smash - ワイアー)

(ベン・ライナス似の)歴史の教師が言った。

「北海道に暮らす私たちにとって、野生動物との共存、特にエゾシカの頭数増大問題は避けて通ることができません。3時間目は体育館に集まってください。みんなで一緒にこの問題を考えましょう!」

体育館へ行くと、ステージに教師が4人、ギターやベースを持って立っていた。

(ベン・ライナス似の)歴史の教師が言った。

「わたしは昨日、車で石北峠を通ったとき、エゾシカを轢いてしまいました。」

それからおもむろに、ギターをかき鳴らしてこんな歌を歌い出した。

あいつが言っていたのを思い出した
「おれたちみんな擂り潰したジャガイモとパンみたいにぐちゃぐちゃなるんだ!」
不意に起こる衝突、()き殺された動物の怒り
舗装道路のトラウマ、車による虐殺

あいつが訴えていたのを思い出した
「血と唾液がべっとり残るんだ!」
毛皮と内臓とストーンチップと染み
内側の車線にはバラバラになった骨が転がる

あいつの言ってたことを思い出した
「カッとなったときは十まで数えろ!」
超ウルトラ激しい怒り
超ウルトラ激しい怒り

あいつの言ってたことを思い出した
「カッとなったときは十まで数えろ!」
超ウルトラ激しい怒り
超ウルトラ激しい怒り

昨日の森に注意しろ
高速道路の向う側
遠く彼方に
鹿が歩いていくのが見えたところだ

新作「Red Barked Tree」を引っさげ、ワイアー(Wire)の先生たちはツアーを開始しました。上の動画は年明け一発目、ロンドンの Rough Trade East ショップで開催されたギグです。今までツアーのギターはマーガレット先生(Margaret Fiedler-McGinnis)が担当だったのですが、今回はマット先生(Matt Simms)が臨時教員として参加しています。先生たちは今オーストラリアにいて、これから4月までに全部で16ヶ国まわるそうです。

2011/01/22

ヴィヴ・アルバーティンが PledgeMusic でアルバムのマスタリング資金調達中

Viv Albertine by mattwareham
Viv Albertine, a photo by mattwareham on Flickr.

ヴィヴ・アルバーティン(Viv Albertine)が PledgeMusic でファースト・ソロアルバムのマスタリング資金を募っています。アルバムに収録予定の10曲は既に録音が済んでおり、今回募っているのはマスタリングのためのミキサー、エンジニアに支払う費用です。

The most exciting thing in the world! My Pledgemusic account has gone live! http://www.pledgemusic.com/projects/vivalbertine#project1月22日 via Twitter for iPhone

PledgeMusic について知らない人も多いと思うので簡単に説明します。これは音楽アーティストのための資金調達サイトで、アルバムの製作やツアーの元手として必要なお金をレコード会社などから得られない(あるいは足りない)とき、アーティストは資金提供者を公募、これに対しファンが直接資金の提供者となる仕組みです。資金提供と言うとおおげさに聞こえますが、実際は一口1,000円くらいから、予約販売に似た気軽さで参加できるものです。

PledgeMusic では資金拠出の確約を「Pledge」と呼んでいます。たとえば今回のヴィヴのマスタリング資金プロジェクトでは、2500英ポンド(現在のレートで約33万円)が目標額です。一方ユーザーは、最も安いプランだと8ポンド(1,000円ちょっと)で Pledge できます。支払い方法はクレジットカードです。ただし、Pledge した金額が即座に引き落とされるわけではなく、一定期間内に Pledge の総額が目標金額に達しなければプロジェクトは「お流れ」となってしまい、支払いは発生しません。このあたりはグルーポンなどの共同購入サイトに似ています。

Pledge 総額が目標に達すると、集まった資金が PledgeMusic からアーティストへ支払われます。アーティストはそのお金を使ってアルバムを製作したり、ツアーへ出たりします。普通の投資だと、CD やコンサートなどの売上で得られた利益から配当を得るものですが、PledgeMusic の場合ちょっと違います。

あなたがもし、前述のヴィヴのプロジェクトに対し8ポンドの Pledge をした場合、得られるのはそのアルバムを無料でダウンロードできる特典です。Pledge 金額によって特典の内容は違い、もうちょっと出すとサイン入りのCDやTシャツ、手書きの歌詞カードなどが送られてきます。ですからファンから見れば料金先払いの予約販売みたいに見えるわけです。ちなみにヴィヴのプロジェクトの最高額は一口200ポンドで、これにはヴィヴがロンドンの自宅で開催する手料理付きプライベート・コンサートへの招待が付いてきます。「ヴィヴの自宅コンサート?知人を集めて?ということはひょっとして生ヴィヴだけじゃなくテッサとかミック・ジョーンズとかキース・レヴィンが来るかもしれないってこと?」という夢が見られます。なお、Pledge にどのような特典が付くかは、アーティストやプロジェクトによってさまざまです。

アーティスト側から見た仕組みもざっと説明しておきます。アーティストはまずアルバムを作るとか、どこそこでコンサートをするとかの具体的な「プロジェクト」の内容とそれに必要な金額を提示しなければなりません。それが PledgeMusic に承認された後、資金の公募が始まります。公募は金額によって30日、60日、90日のいずれかの期間が設けられます。決められた期間内に目標金額に達しなければ「お流れ」となります。期間内に目標金額に達すればアーティストは資金を得られますが、金額の15パーセントを手数料としてあらかじめ差し引かれます。残りの金額の75パーセントは即座に支払われますが、残りの25パーセントはプロジェクト自体の完了後となります。

共同購入クーポンや予約販売に似たもの、とは言ってもやはり一種の「投資」には違いないので、リスクはあります。たとえばバンドが資金を得てアルバムを作り始めたものの、完成前に解散してしまったとか、資金を持って夜逃げしてしまった。なんてことがあるかもしれません。その場合 PledgeMusic 側は Pledge した人に状況を知らせ、アーティストに対しては資金の返還要求などの手続きをおこないますが、金額分の対価が必ず得られるという保証をしてくれるわけではありません。詳しくは FAQ のページで確認してください。

もうひとつ。まだ作られていない、当然試聴もできない作品の製作に出資するわけですから、内容の保証はありません。出来上がった作品がいかに「とほほ」な出来であったとしても、お金は返ってきません。もちろん「すごくいい出来」だった場合は「自分がこの作品の製作に貢献したんだ」という満足感が得られます。ささやかな投資の醍醐味というものです。

あ、それから間もなく発売のギャング・オブ・フォー(Gang of Four)のニューアルバム「Content」は PledgeMusic での資金調達によって作られたものです。この種の資金調達法によるアルバム製作は、これから急速に増えそうです。

2011/01/19

そもそもライドン家の辞書に口腔衛生なんて言葉は存在しなかった - ジョン・ライドン

John Lydon P.I.L. @ BML2010 by Clive Rowland Photography
John Lydon P.I.L. @ BML2010, a photo by Clive Rowland Photography on Flickr.

イギリスの新聞「ガーディアン(Guardian)」のサイトの Life & style というコーナー(「私の履歴書」みたいな感じ?)にジョン・ライドン(John Lydon)の短いインタビューが掲載されています。とってもすてきな内容なので訳してみました。

鏡で自分の顔を見ると、シミ、毛穴の黒ずみやニキビが見つかる。それを絞るのがおもしろくて止められない。鏡は角度を変えられる拡大表示タイプのものを使う。肌がまるで月面のように見えるんだ。

本当の髪の色は鼠色だ。赤毛になりたかった。もともと生まれたときはそうだったんだ。でなきゃブロンドがいい。ロスに住んでるから、そういう色なら実際にはサーフィンをしなくても、いかにもしてますって感じに見えるだろ。

俺のニックネームはロットン、歯に緑色のカビのスジが付いていたことからこの名前が付いた。そもそもライドン家の辞書に口腔衛生なんて言葉は存在しなかった。俺が家の中で歯ブラシを見たのは、親父がブーツを磨くときだけだ。

その後、俺はありとあらゆる病気にかかったが、不衛生な歯が身体全体の機能を狂わせる原因だったとは気づかなかった。1996年のセックス・ピストルズ(Sex Pistols)のツアーの前、ついに骨まで腐り始めたため、大掛かりな手術を受けるハメになった。今じゃ毎日フロスをしている。いいやり方を見つけたんだ。プラスチックのショッピングバッグの手さげ部分を使う。歯の隙間に具合良く入るんだよ。

好きなものは綿棒。安全ピンと同じでたくさんの使いみちがある。綿棒で鼻をほじるのが大好きだ。手鼻じゃ飛ばないようなやつが取れる。

俺は今54歳だが、年はまったく気にしちゃいない。たかだか半世紀生きて、ほんのちょっと変わっただけだ。

2011/01/09

腰を振れ! - 裏のリズムをマスターしよう

Elvis Aaron Presley by Thuany Gabriela
Elvis Aaron Presley, a photo by Thuany Gabriela on Flickr.

よく「日本人は裏のリズムを取るのが苦手」と言われます。表の「チャン、チャン、チャン、チャン」というのに対し、「ンチャ、ンチャ、ンチャ、ンチャ」という具合に、表の拍子の隙間にアクセントが来るのが裏のリズムです。この裏のリズムを主体とした音楽の代表がアメリカのゴスペル・ミュージックです。

最近は日本でもゴスペルが人気のようで、街のカルチャーセンターなんかにもゴスペル教室があります。以前そのひとつを聴く機会があったのですが、なんかぜんぜんゴスペルに聴こえないんですよ。たしかにゴスペルの曲を歌ってはいるんですが、歌の巧拙とは別に、あのゴスペル特有の躍動感がぜんぜん感じられない。ようするに裏のリズムがまったく取れていないんです。別にゴスペルの専門家じゃないんですが、思わず「そーじゃねーだろ!」と口を出したくなってしまいました。

もちろんゴスペルのリズムというのは、アフリカ音楽に由来し、何世代にも渡りアメリカ黒人の間で継承されてきた文化的なリズムでもありますから、それとは無縁の日本人が苦手でも仕方ありません。でもゴスペルの曲を聞くと「あれ、いいな。あんな風に歌いたいな」と思う日本人も少なくありません。よろしい、私がゴスペル・リズムの習得方法をお教えしましょう。実はそんなに難しいもんじゃないんです。

まずひとつ、リズムというのは身体全体で取るもんです。ようするに歌いながら一緒に踊るということですね。もうひとつは踊るときの身体の使い方です。こっちの方が重要。最近は YouTube という便利なものがあるので、「Gospel」と検索するだけで、歌っている人たちがどんな風に身体を使っているかすぐ確認できます。いい世の中になったものです。

早速ひとつ観てみましょう。実はこれ、アメリカじゃなくカナダのコーラスグループなんですが、身体の動きがよくわかるので例に取り上げてみました。アメリカ黒人じゃなくても、ゴスペルのグルーヴ感を出せるという良い例にもなっていると思います。正面でリードヴォーカルを取っている人じゃなくて、後ろでコーラスをしている人たちの動きをよく見てください。

肩を左右に大きく揺すりながら歌っているのがわかりますね。見るだけじゃなく、立ち上がって、音楽に合わせてあなたも肩を揺すってみてください。気がつきましたか?こういう風に肩を揺すると腰をくねらせる感じになり、上半身だけじゃなく、腰と、さらに釣られて足も大きく動くんです。慣れてきたら、上半身に合わせて下半身が動くのではなく、下半身の動きに上半身を合わせるように意識してみてください。動きがよりスムーズになるはずです。

合唱隊は足元まである長い服を着ているので見ただけでは気付きにくいのですが、実は腰をくねくねさせて歌っているんです。これがゴスペル・リズムの基本です。踊ってみると「ンチャ、ンチャ、ンチャ、ンチャ」という動きになっているのが分かると思います。あとはひたすら身体がリズムに馴染むまで動かすのみ。

また、これもやってみることで分かると思いますが、見た目よりはるかに体力を使います。1曲やるだけでもう汗ばんでくるはずです。身体全体でリズムを取るとそうなるんです。激しい運動をしている割に合唱団の人たちがみんな太っているのが不思議ではありますが...。

1950年代中頃、腰をくねらせながら歌う史上初の歌手としてテレビに登場したエルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)は、当時「いやらしい」「不謹慎」「下品」と批判されたそうです。一方彼はその理由を「ゴスペルの牧師の真似をした」と答えたという話を読んだことがあります。この種のリズム感を出すには腰の動きが不可欠というのを、彼は身をもって知っていたのだと思います。

それから、裏のリズムが身体になじんでいないのは日本人だけではないようです。こちらのイギリス BBC で放送されたゴスペル番組をご覧ください。ステージ上の音楽は裏のリズムで進行しているのに、客席からの手拍子は表のリズムで、チグハグになっているのがわかりますよね。イギリス人もこのリズムが不得意みたいです。

最後にもうひとつご紹介しましょう。ゴスペル音楽をバックグラウンドに持つミュージシャンや歌手はたくさんいますが、その代表といえば何といってもニーナ・シモン(Nina Simone)です。以前もここで取り上げた Sinnerman は裏のリズム難易度最高レベルの名曲です。テンポが早く、10分以上の長い曲ですから、体力も必要です。この曲で最後まで踊り、曲の途中の手拍子なんかもぴったり合うようになれば、裏のリズムの免許皆伝です。健闘を祈ります。

2011/01/05

ふつうの生活のサウンドトラック (Small Craft on a Milk Sea - ブライアン・イーノ)

http://en.wikipedia.org/wiki/File:Brian_Eno_-_Small_Craft_on_a_Milk_Sea.jpg

ちょっと遅くなりましたが昨年10月にリリースされたブライアン・イーノ(Brian Eno)の新作、「ミルクの海に浮かぶ小さな模型 (Small Craft on a Milk Sea)」をご紹介します。

イーノいわく、このアルバムは「音だけの映画(sound-only movies)」、つまり存在しない映画のサウンドトラック・アルバムだそうです。ん?ちょっと待った。その話、前にも聞いたことあるぞ。

1978年にリリースされたイーノのアルバムに「Music for Films」というのがあります。これがまさに存在しない映画のサウンドトラックだったのです。それだけじゃなく、1983年と1988年にそれぞれ続編が出ていて、このネタだけでアルバムが合計3枚もあります。イーノ作品を色々聴いている人は「ええーっ、またなの?」って思ってしまうかもしれません。でもご安心ください。今回のは一味違います。

最初の「Music for Films」がリリースされた当時、携帯音楽プレイヤーというものは、まだこの世に存在していませんでした。音楽は「部屋の中で聴く」のが普通で、「Music for Films」もそうした聴き方を前提に作られています。カセットテープ用のウォークマンが発売されたのはその翌年の1979年で、一般に普及したのはさらにしばらく後のことです。

初期のウォークマン(およびその類似品)は、今から思えば、扱いがかなり面倒な代物でした。ぶ厚い文庫本くらいの大きさで、重さは約400グラム。記憶媒体はカセットテープなので、テープ1本に片面45分、両面で90分しか音楽を入れられません。45分毎に必ずテープをひっくり返したり、入れ替えたりの作業も必要です。色んな曲を持って歩くなら、テープを何本も持ち歩く必要がありました。もちろんテープだからランダム再生なんてできません。電池は普通のやつだと2、3時間しか持ちませんでした。電池が少なくなったり、走りながら聴こうとすると、モーターの回転が不安定になって音がヨレてしまいました。ヘッドフォンのケーブルやコネクタもヤワだったので、ちょっと古くなると音が途切れたり、断線して聴こえなくなったりしてました。

実際のところ、本当に気軽にたくさんの音楽を外に持ち出して聴けるようになったのは MP3 のプレイヤーが登場、普及してからの、ここ7、8年のことです。やっと誰もが気軽に、通勤通学途中や散歩をしながら音楽が楽しめるようになりました。めでたし、めでたし。

なのかな?

いや、楽しいよね。レディー・ガガの曲を携帯プレイヤーで聴きながら、コマーシャルでやってるみたいにノリノリで踊るのって。でもそういうことするの、自分の部屋の中や友達とふざけているときだけでしょう。道端や電車の中でやるとまわりの人が迷惑するし、もしやっていいよって言われても、ふつうの人はあまり人前でやりません。たいていの人はもくもくと歩きながら、あるいは電車の中でじっと体を動かさずに音楽を聴いています。

それから、携帯プレイヤーで音楽聴くときって大抵は、何か別のことをしながらの「ながら聴き」です。歩きながら、ジムで走りながらなど。電車の席に座ってじっと音楽を聴いているように見えるときでも、実は考えごとをしていることが大半だったりします。ようするに聴き流しなので「前の曲、何だった?」ときかれてもわからないことがよくあります。

かといってまったく聴いていないかといえばそうでもなく、同じ曲ばかり流しているとすぐに飽きて、好きな曲もうるさく感じるようになってしまいます。片道1時間の通勤で1週間毎日レディー・ガガを聴き続けて、「来週も、再来週もレディー・ガガ一本で行く!」という人はあまりいません。リスナーが正面から音楽に対峙して聴く「フォアグラウド」タイプの曲は、長時間の「ながら聴き」に向かないんです。

一方「ジョギングをするときは映画ロッキーのテーマで」という人が世界にはたくさんいることでしょう。ただしそれが気持ちいいのは走り始めだけ、あるいはゴールのときだけです。毎朝50分のジョギングで、その間ずっと「ロッキーのテーマ」を聴き続けるというのは、はっきり言って拷問です。「ロッキーのテーマ」は映画音楽で分類としては BGM に属しますが、やはりこうした聴き方には向いていません。あまりにも特定のムードを強調し過ぎているからです。

携帯音楽プレイヤーにより、部屋の外で何かをしながら、ひとりで自分の好きな音楽を聴くためのテクノロジー環境は整い、価格も安くなりました。でも、こうした聴き方を第一に考えた音楽はまだ存在しなかったのです。

「存在しなかったのです」と過去形で書いた理由は、もうおわかりですね。「Small Craft on a Milk Sea」は、イーノ史上初めて「携帯音楽プレイヤーで聴くことを意識して」作られたアルバムです。pitchfork のインタビューで彼は次のように話しています。

人が歩きながら音楽を聞きながら歩くという行為は、とても興味深いよ。実際みんなそうやって、自分自身の生活のサウンドトラックを創り出しているんだ。このアルバムの最終的なまとめ作業に入った頃、iPod に作業中の曲を入れて外を歩いてみたんだ。「この音楽はぼくが出演している映画のサウンドトラックだ」って自分に言い聞かせてさ。すごく楽しくて、我ながら「こりゃあいいや」って思ったよ。こうした聴き方には歌のない曲のほうがいい。歌詞があるとどうしても意味が限定されてしまうからね。この聴き方によって生じる曖昧さというか、相反する性質が混在してしまう点も気に入った。すごく混雑しているメキシコ料理店の中で、アルバムの中の穏やかな曲がかかったときは、特にすばらしかったよ。

さあ、きみも携帯音楽プレイヤーに「Small Craft on a Milk Sea」を入れて街に出よう!ただし以下の点に注意。

  • ヘッドフォンは、外部の音を完全にシャットアウトしてしまうタイプもあるけど、あれはダメ。音楽以外の外の音が適度に聴こえるタイプのものを使う。ただしシャコシャコ音漏れして、他人に迷惑かけるような安物は問題外。
  • ボリュームは大き過ぎず、小さ過ぎず。
  • 曲から曲への流れが予想できないように、曲順はランダムに設定する。

このようにして街を歩くと、騒がしい場所では音楽がよく聴こえないこともありますが、それでいいんです。騒がしい場所では高いピアノの音だけ、かすかにしか聴こえなかったのが、路地を入った瞬間にまわりの音が途切れ、音楽が鮮明に鳴り出したら、それこそ映画のワンシーンです。

別に「これは私の映画だ」って意気込む必要はありません。「どうせ俺なんか脇役だ」とイジケる必要もありません。ただランダムシャッフルで流しておけばいいんです。忘れて考えごとしながら歩いてかまいません。でもそうしていると、突然、意図せず「音楽が聴こえてしまう」瞬間が現れます。

仕事が終わって会社のドアを開けるとき、素っ頓狂なビートに気づくかもしれません。駅の券売機で前の人がモタモタしているのにイラっとしたとき、悲しげな旋律が聴こえてしまうかもしれません。

あなた自身のサウンドトラックです。

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