2011/01/05

ふつうの生活のサウンドトラック (Small Craft on a Milk Sea - ブライアン・イーノ)

http://en.wikipedia.org/wiki/File:Brian_Eno_-_Small_Craft_on_a_Milk_Sea.jpg

ちょっと遅くなりましたが昨年10月にリリースされたブライアン・イーノ(Brian Eno)の新作、「ミルクの海に浮かぶ小さな模型 (Small Craft on a Milk Sea)」をご紹介します。

イーノいわく、このアルバムは「音だけの映画(sound-only movies)」、つまり存在しない映画のサウンドトラック・アルバムだそうです。ん?ちょっと待った。その話、前にも聞いたことあるぞ。

1978年にリリースされたイーノのアルバムに「Music for Films」というのがあります。これがまさに存在しない映画のサウンドトラックだったのです。それだけじゃなく、1983年と1988年にそれぞれ続編が出ていて、このネタだけでアルバムが合計3枚もあります。イーノ作品を色々聴いている人は「ええーっ、またなの?」って思ってしまうかもしれません。でもご安心ください。今回のは一味違います。

最初の「Music for Films」がリリースされた当時、携帯音楽プレイヤーというものは、まだこの世に存在していませんでした。音楽は「部屋の中で聴く」のが普通で、「Music for Films」もそうした聴き方を前提に作られています。カセットテープ用のウォークマンが発売されたのはその翌年の1979年で、一般に普及したのはさらにしばらく後のことです。

初期のウォークマン(およびその類似品)は、今から思えば、扱いがかなり面倒な代物でした。ぶ厚い文庫本くらいの大きさで、重さは約400グラム。記憶媒体はカセットテープなので、テープ1本に片面45分、両面で90分しか音楽を入れられません。45分毎に必ずテープをひっくり返したり、入れ替えたりの作業も必要です。色んな曲を持って歩くなら、テープを何本も持ち歩く必要がありました。もちろんテープだからランダム再生なんてできません。電池は普通のやつだと2、3時間しか持ちませんでした。電池が少なくなったり、走りながら聴こうとすると、モーターの回転が不安定になって音がヨレてしまいました。ヘッドフォンのケーブルやコネクタもヤワだったので、ちょっと古くなると音が途切れたり、断線して聴こえなくなったりしてました。

実際のところ、本当に気軽にたくさんの音楽を外に持ち出して聴けるようになったのは MP3 のプレイヤーが登場、普及してからの、ここ7、8年のことです。やっと誰もが気軽に、通勤通学途中や散歩をしながら音楽が楽しめるようになりました。めでたし、めでたし。

なのかな?

いや、楽しいよね。レディー・ガガの曲を携帯プレイヤーで聴きながら、コマーシャルでやってるみたいにノリノリで踊るのって。でもそういうことするの、自分の部屋の中や友達とふざけているときだけでしょう。道端や電車の中でやるとまわりの人が迷惑するし、もしやっていいよって言われても、ふつうの人はあまり人前でやりません。たいていの人はもくもくと歩きながら、あるいは電車の中でじっと体を動かさずに音楽を聴いています。

それから、携帯プレイヤーで音楽聴くときって大抵は、何か別のことをしながらの「ながら聴き」です。歩きながら、ジムで走りながらなど。電車の席に座ってじっと音楽を聴いているように見えるときでも、実は考えごとをしていることが大半だったりします。ようするに聴き流しなので「前の曲、何だった?」ときかれてもわからないことがよくあります。

かといってまったく聴いていないかといえばそうでもなく、同じ曲ばかり流しているとすぐに飽きて、好きな曲もうるさく感じるようになってしまいます。片道1時間の通勤で1週間毎日レディー・ガガを聴き続けて、「来週も、再来週もレディー・ガガ一本で行く!」という人はあまりいません。リスナーが正面から音楽に対峙して聴く「フォアグラウド」タイプの曲は、長時間の「ながら聴き」に向かないんです。

一方「ジョギングをするときは映画ロッキーのテーマで」という人が世界にはたくさんいることでしょう。ただしそれが気持ちいいのは走り始めだけ、あるいはゴールのときだけです。毎朝50分のジョギングで、その間ずっと「ロッキーのテーマ」を聴き続けるというのは、はっきり言って拷問です。「ロッキーのテーマ」は映画音楽で分類としては BGM に属しますが、やはりこうした聴き方には向いていません。あまりにも特定のムードを強調し過ぎているからです。

携帯音楽プレイヤーにより、部屋の外で何かをしながら、ひとりで自分の好きな音楽を聴くためのテクノロジー環境は整い、価格も安くなりました。でも、こうした聴き方を第一に考えた音楽はまだ存在しなかったのです。

「存在しなかったのです」と過去形で書いた理由は、もうおわかりですね。「Small Craft on a Milk Sea」は、イーノ史上初めて「携帯音楽プレイヤーで聴くことを意識して」作られたアルバムです。pitchfork のインタビューで彼は次のように話しています。

人が歩きながら音楽を聞きながら歩くという行為は、とても興味深いよ。実際みんなそうやって、自分自身の生活のサウンドトラックを創り出しているんだ。このアルバムの最終的なまとめ作業に入った頃、iPod に作業中の曲を入れて外を歩いてみたんだ。「この音楽はぼくが出演している映画のサウンドトラックだ」って自分に言い聞かせてさ。すごく楽しくて、我ながら「こりゃあいいや」って思ったよ。こうした聴き方には歌のない曲のほうがいい。歌詞があるとどうしても意味が限定されてしまうからね。この聴き方によって生じる曖昧さというか、相反する性質が混在してしまう点も気に入った。すごく混雑しているメキシコ料理店の中で、アルバムの中の穏やかな曲がかかったときは、特にすばらしかったよ。

さあ、きみも携帯音楽プレイヤーに「Small Craft on a Milk Sea」を入れて街に出よう!ただし以下の点に注意。

  • ヘッドフォンは、外部の音を完全にシャットアウトしてしまうタイプもあるけど、あれはダメ。音楽以外の外の音が適度に聴こえるタイプのものを使う。ただしシャコシャコ音漏れして、他人に迷惑かけるような安物は問題外。
  • ボリュームは大き過ぎず、小さ過ぎず。
  • 曲から曲への流れが予想できないように、曲順はランダムに設定する。

このようにして街を歩くと、騒がしい場所では音楽がよく聴こえないこともありますが、それでいいんです。騒がしい場所では高いピアノの音だけ、かすかにしか聴こえなかったのが、路地を入った瞬間にまわりの音が途切れ、音楽が鮮明に鳴り出したら、それこそ映画のワンシーンです。

別に「これは私の映画だ」って意気込む必要はありません。「どうせ俺なんか脇役だ」とイジケる必要もありません。ただランダムシャッフルで流しておけばいいんです。忘れて考えごとしながら歩いてかまいません。でもそうしていると、突然、意図せず「音楽が聴こえてしまう」瞬間が現れます。

仕事が終わって会社のドアを開けるとき、素っ頓狂なビートに気づくかもしれません。駅の券売機で前の人がモタモタしているのにイラっとしたとき、悲しげな旋律が聴こえてしまうかもしれません。

あなた自身のサウンドトラックです。