2013/09/20

俺のことなど世界中誰ひとり憶えていない (サーチ・アンド・デストロイ - イギー・アンド・ザ・ストゥージズ)

Iggy Pop, a photo by Elisa Moro on Flickr.

1960年頃から1975年にかけて、南北に分裂したベトナム間で起った長期かつ大規模な武力衝突がベトナム戦争です。北ベトナムをソビエト連邦を中心とする共産主義国が、もう一方の南ベトナムはアメリカを中心とする資本主義国が支援したため、共産主義対資本主義の代理戦争とも呼ばれていました。この戦争でアメリカは南ベトナムを物資面で支援するだけでなく、自国の兵士を大量にベトナムに派遣、参戦しました。

北ベトナムのゲリラ軍は森林に潜んでいました。つまり船や戦車で彼らを攻撃することはできません。そこで用いられたのがヘリコプターを使って先ず偵察隊を森林地帯に送り込んで敵を見つけ出し、地上から攻撃すると同時に飛行機からナパーム弾などを投下して焼き払うという戦法です。これがサーチ・アンド・デストロイ (Search and Destroy)作戦です。ちなみにこの当時、ヘリコプターというのは最新の軍事テクノロジーでした。

しかしこの作戦は失敗に終わりました。北ベトナムのゲリラ軍は地の利に長けており、森林に潜むゲリラ兵士は民間人と見分けがつかなかったからです。結果的に北ベトナムの民間人だけでなく、アメリカ軍にも大量の犠牲者を生み出す結果となりました。このあたりの様子は後に「地獄の黙示録」などの映画にも描写されています。

イギー・アンド・ザ・ストゥージズ(Iggy and The Stooges)が「サーチ・アンド・デストロイ」を含むアルバム「ロー・パワー (Raw Power)」をレコーディングしたのは1972年、イギー・ポップ(Iggy Pop)が25歳のときです。当時のアメリカは徴兵制を実施していましたから、彼もまたいつベトナムへ送り込まれるか分からない若者のひとりでした。結果的にイギーがベトナムへ行くことはありませんでしたが、彼と同世代の若者が大勢ベトナムへ行き、それっきり帰って来られなかった者は数万人に及びました。

ベトナム戦争は歴史上、若者を中心に世界的な反戦運動を引き起した初めての戦争でもありました。ジョン・レノンを始め、ポップ・スターたちが直接的な反戦メッセージを口にしたり、歌うようになったのもこの頃からです。

一方、イギー・アンド・ザ・ストゥージズのアプローチはこうした「愛と平和」タイプのものとはまったく異なるものでした。友人たちがベトナムのジャングルの中をさまよっているとき、ジェイムス・ウィリアムスンはまるでヘリコプターからの機銃掃射のようなサウンドをギターで鳴らし、イギーはステージの上で男性ストリッパーさながら裸で身をくねらせ「俺を撃ち抜いてくれ!」と叫んでいました。

1973年1月に和平協定が成立しアメリカ軍はベトナムから撤退、同時に徴兵制も廃止されました。アルバム「ロー・パワー」がリリースされたのはその翌月のことです。当時このレコードはまるで売れず、間もなくストゥージズも解散してしまいました。当時の世の中にはストゥージスを受け入れられる人がまだ少かったんです。

ジェイムス・ウィリアムスンがギタリストとして復帰、イギー・アンド・ザ・ストゥージズが復活したのはそれから36年も後の2009年のことでした。そしてイギーは今もこの歌を歌う度、ひとりジャングルをさまよっています。

俺は胸にナパーム弾を詰め込んで街をうろつくチーター
原子爆弾から生まれた家出息子
俺のことなど世界中誰ひとり憶えていない
サーチ・アンド・デストロイ作戦の遂行者

お願いだから俺を助けてくれ
誰か俺の魂を救ってくれ
俺を爆破してくれ

気を付けたほうがいい、俺は最新のテクノロジーを駆使してる
言い訳してるヒマなんかない
真夜中に魂が発する放射能
銃撃戦の最中(さなか)の愛

お願いだから俺を不意打ちしてくれ
誰か俺の魂を救ってくれ
俺の心を射ち抜いてくれ

俺のことなど世界中誰ひとり憶えていない
サーチ・アンド・デストロイ作戦の遂行者
俺は世界中から見捨てられた男
ひとりサーチ・アンド・デストロイ作戦を遂行してる