2012/12/30

チーン、ゴンって調子のいつもと変わらないブライアン・イーノの音楽だろ - LUX

Galleria di Diana
Galleria di Diana, a photo by Lorenzo X on Flickr.

普通の人は普段、自分の生活空間にある壁紙の材質や色をあまり意識しないで過ごしています。いつも行ってる職場や学校の部屋の壁紙、どんな色でどんな材質だったか憶えていますか?毎日飽きるほど見ているはずなのに、いざ思い出そうとすると、なかなか思い出せなかったりします。でもそれはあなたの記憶力が悪いせいじゃありません。壁紙ってそういうものだからです。たいていの壁紙は目立たないように、人が特別に意識しないよう、記憶に残らないように作られているからです。

じゃあ壁紙なんてどうでもいいのかと言えば、もちろんそんなことはありません。日常意識していないながらも、壁紙はそこで過ごす人の気持ちにじわじわと影響を及ぼすからです。たとえばあなたが奮発して立派な家具を購入したとしましょう。でも部屋に置いてみると何だか違和感がある。そこだけ何だか取って付けたみたいに感じる。ああ、そうか、壁紙が煤けていて家具とマッチしないんだな。そういえば15年、一度も壁紙を貼り替えたことなかったな。人が壁紙を意識するのはそんなときです。

じゃあ壁紙を貼り替えることにしましょう。ホームセンターへ行って壁紙を買ってきて自分で貼り替えるという手もありますが、慣れていないとシワになったりズレたり面倒そうです。費用はかかりますが、やはり専門の内装業者に頼むことにしましょう。電話するとすぐに、大量の壁紙のサンプルが載ったぶ厚いカタログを持って業者がやってきます。そのサンプルを前にして、あなたはきっと途方に暮れます。

カタログには小さくて四角い壁紙のサンプルが大量に貼られています。ひとつ、ひとつ、確かに色、柄、材質が違います。模様の書かれたものなど、様々な壁紙があります。細かく見ていくと確かにひとつひとつ全然違います。よくもこんなに色々な壁紙があるもんだなと思います。中には普通の家にこれはちょっとと思うような派手なのもありますが、それ以外は壁に貼ってしまえばどれもこれもあまり変わらないようにも思えます。だいたい小さな壁紙の切れ端を見ても、実際にそれが部屋の壁に貼られたときどんな雰囲気になるのか、いまひとつイメージが湧きません。

その様子を察した業者があなたに尋ねます。どんな感じのものをお望みですか?ええっと、そうですね、日当たりのあまり良くない部屋なので明るいのがいいんですが...冬も暖かい雰囲気になるような。では、これとか、あるいはこれなんかはいかがでしょう?業者はたちどころに候補を数点に絞り込みます。

その後見積をもらって価格交渉して、実際に貼り替え工事が終わった部屋を見てあなたはこう思います。ああ、気のせいか少し明るい感じになって家具も違和感がない。ちょっとだけこの部屋に入るのが楽しみになったかな。

ブライアン・イーノ(Brian Eno)が作るアンビエント音楽というのは、いわば壁紙のような人に意識をさせない音楽です。室内の雰囲気といのは壁紙だけが作っているわけじゃなくて、天井や床や窓もあります。そこでどんな人が何をするのか、どんな家具やインテリアがあるのか、光がどのような感じで入ってくるのか、気温や湿度や窓から見える風景によっても違います。そこにもうひとつ、壁紙なんかと同レベルの目立たない音楽を加えることで、その空間をほんの少しだけ良いものにするというのがイーノのアイディアです。

意識されないように作られた音楽ですから、あれっ、そういえば何かかかっていたけどどんな音楽だっけ?というのが本来の正しい聴き方です。ということは、普通の人は普段あまり壁紙のことなんか話題にしないように、イーノとかアンビエント音楽なんて誰も話題にしないのがイーノが理想とする世界ということになります。だけどこのようにアンビエント音楽についてくだくだ書く人間が後を断たないということは、まだまだ道のりは遠いという証しでもあります。

それでもイーノ最初の公式アンビエント作品「Discreet Music」から37年、アンビエント音楽の「利用者」もそれなりに増えてきました。最新作「Lux (ラックス)」は元々イタリアのヴェナリア王宮(Reggia di Venaria)にある回廊ガレリア·ディ·ダイアナ(Galleria di Diana)のために作った音楽がベースになっているそうです。行ったことないのでよくわかりませんが、王宮と名がつくからにはおそらく国宝級の歴史遺産に違いありません。そういうところからイーノに「音楽を作ってくれ」って依頼が来るようになったんですねえ。きっと担当者は昔、ロキシー・ミュージックを聴いてたような人なんだと思います。

この作品の誕生に当たっては二つの話があるんだよ。まずそのひとつ、トリノの王宮内に二つの場所をつなぐある建物があるんだけど、そこで流す音楽を作る仕事を引き受けたんだ。その建物というのはものすごく長いギャラリーみたいなところで長さが100メートル、高さは15メートルもある1740年代にユヴァッラ(Filippo Juvarra)が設計したものなんだ。年間約100万人の観光客がその建物の中を通るんだけど、足早に通り過ぎてしまう人々をもうちょっとゆっくり歩くようにさせたいというのが依頼の内容だった。まるでレースでもやってるみたいにあっちからこっちへみんな通り過ぎてしまうので、せっかくの美しい場所に気付いてもらえないって依頼者は感じてたんだ。「みんながゆっくり歩くような曲を作っていただけませんか」って言われたんだよ。それでぼくは、これならちゃんと機能するだろうと思う曲を作り、それを持って飛行機でトリノへ飛んだんだ。スピーカーなどすべてぼくが言った通りにセットされていざその曲を流してみると、20秒もしないうちにこれじゃまるでダメだってわかった。

その場所にまるでマッチしてなかったんだ。その建物とはうらはらに現代的過ぎたんだよ。驚くほど素晴しいバロック様式で細かな装飾がいたるところに施されているんだけど、主役になってるのは建物じゃなく明るい光なんだ。両側に巨大な窓があって、足を踏み入れるとまず目に入ってくるのは光、そして日中刻々と変化する光の表情だったんだ。一方ぼくが自分のスタジオで作ってきた曲は、いや決してデキは悪くなかったけどさ、だけどあの場所で聴くとすごく室内っぽくて、反射光っぽくて、内省的で暗いってみんな感じたと思う。ぼくはポータブルなスタジオ機材も持って行ってたから、よし、2日ほどここに留まってどんなやり方がうまくいくか試してみようって決めたんだ。そうして帰る日までにぼくは、これならうまく機能しそうだというサウンド・テイストと歩調みたいなものを把握することができた。それからロンドンへ帰って作品を仕上げたというわけさ。で、二つの話をまとめると、一、ぼくは特定の場所用の曲を作るために招待された。二、そこで大失敗をした。

その王宮で使った音楽が今回のアルバムのベースになっている。ぼくはスタジオで寝転がれるように寝心地のいいベッドを持ち込み、その枕元両脇にスピーカーをセットして自分でこの音楽の中に浸れる環境を作ったんだよ(ヘッドフォンが嫌いなんでね)。どうしてそんなことをしたのかというと、王宮用に作った音楽を調整するためさ。そうやって作業をしてるうちに「すごい、この音楽、大いに気に言ったぞ。それだけじゃなく、今まで自分が作ったどんな音楽とも違って聴こえる」って思うようになったんだ。まあぼくの仕事に興味のない連中は「ああ、チーン、ゴンって調子のいつもと変わらないブライアン・イーノの音楽だよな」って言うに違いないけどさ、ぼくとっては今までと全然違う作品なんだ。

王宮の仕事のオファーを受けたとき、最初はその場所で24時間流しっぱなしにする音楽にしようと思っていた。だからジェネラティヴな作品、永遠に変化し続ける自己生成的なものを作ろうとしていた。だけどよく話を聞いてみると、彼らが求めていることを実現するには1時間再生したら次の1時間は止める、その方がいいと分かったんだ。実際そんな風に彼らに提案したんだよ。なぜならあのギャラリーを訪れる人の中にはミスター・イーノによる解釈が加わっていない、そのままの形であの場所を味わいたいという人もいるからね。それでぼくはエピソード的な音楽というアイディアを模索し始めた。最初から最後まで通しで聴かなくてもいい音楽、どこから聴き始めても、どこで聴き終えてもいい音楽だよ。数学の順列の考え方を取り入れて仕事を始めたんだ。労せずして多くのものが手に入るやり方だよ。集合の中から元を取り出して、ある短い長さの列を作る。時間と法則が許す限りいくらでも違ったものが作り出せるんだ。

ピアノの白鍵盤は7音階で構成されてるんだけど、(12セクションから成る)この作品の各セクションはその内の5音階を使って作られているんだ。計算してみると分かるけど、7音階から取り出せる5音階の組合せは21通りある。作品は12セクションだけど、いくつかは同じ音階を使っているものがあるので実際に使っている音階は9通りだ。きわめて公式的なんだ。シンプルな方法で色々を生成できる。ぼくの「内なるミニマリスト」がそうさせるんだよ。

The 77 Million Faces of Brian Eno

イーノ自身は今までと全然違う作品なんだって言ってますけど、普通の人は「この壁紙は従来の製品とはまったく違う画期的な製品なんですよ」って言われてもよくわかんないですよね。

でも今度のは違うんだよ、マジ。壁紙マニアにしか分からないかもしれないけど。