2014/12/23

今日がクリスマスじゃなくて良かった(Thank God It's Not Christmas - スパークス)

Sparks at Barbican, a photo by astonishme on Flickr.

2014年の暮れも押しせまってまいりました。みなさんいかがお過ごしでしょう。唐突ですが、少子高齢化問題について考えてみましょう。今年もその解決の兆しすら見えないまま終えようとしています。もちろんこんなところで何を書いたってどうなるもんでもないのですが、どうせみんなこんなの読んでるくらいヒマなんでしょう?それを良いことに適当なことを書き連ねてみたいと思います。

わたしは1960年代前半の生まれです。日本の高度成長期って呼ばれてる時代に生まれ、子ども時代を過ごしました。その頃、少子化とか高齢化なんて世間ではまったく問題になっておらず、そんな言葉自体ありませんでした。当時問題になっていたのは人口爆発のほうです。そんなの聞いたことない?このままどんどん地球上の人口が増え続けると食料が足りなくなって大変なことになるぞ、奪い合いで戦争が起きるぞ、そう言われてたんです。当時の少年マガジンにはおどろおどろしい挿絵と一緒にそんな記事がよく載っていて、子どものわたしは夜も眠れなくなるくらい心配したものです。

ところが現実に約50年経った今、みんなが心配しているのは出生率の低下、人口減少のほうです。でもちょっと待て、戦争や伝染病で大量の人が死んだり、大量の移民でもない限り、人口ってそんなに急に増えたり減ったりしないんじゃないの?

日本に関して言えば、1960年代、既に近所の家族構成は夫婦一組に子ども二人というのが一番多いパターンでした。三人という家もそこそこあったけど、一方で一人っ子というのも結構いたし、もちろん子どものいない家だってありました。人間二人につき平均で二人の子どもが生まれてやっと人口は横ばいなんだから、人口が減るの当たり前じゃん。普通に算数ができれば誰でもわかる理屈。問題は50年前既に始まっていたのに、同時は誰もそんなこと問題にしていませんでした。

ちまたのニュースで見かけるのはもっぱら「日本の」少子高齢化問題ばかりですが、もちろん日本に限ったことではぜんぜんなく、世界共通の問題です。スチュアート・ブランドという人は、その原因が「都市化」にあると説明しています。

都市で起こっている現象に関しては、2007年の国連報告「とめどのない都市化の将来」で、ジョージ・マーティンがこう書いている。

「都市部における新たな社会変化の特色として、女性が力を持つようになり、男女の役割に変化が起き、社会状況が改善され、出産前後の健康管理が高度化し、恩恵も受けやすくなる。これらの要因が、出産を急激に減少させる」

田舎では子どもが増えれば資産が増えることにつながるのだが、都会のスラムでは子どもが増えれば足手まといになる。したがって都会で自由を得た女性は、子どもは少数にとどめて高い教育を受けさせようとする。したがって、都市化は人口爆発を抑制する効果を持つ。

女性一人当たり2.1人の出生率という人口維持ラインは、大部分の地域でとどまるところを知らずに下がり続けている。人口の趨勢は、現存する人類の子どもが子孫を残す今世紀の半ばにピークに逹し、その後は減少に転じる。

ピーク時には、どのような状態になるのだろうか。2008年の国連の予想によると、90億人をやや上回る。ただし先進国の出生率が、なんらかの理由でふたたび盛り返すことを前提にしている。だがそれは起きにくく、80億人が上限ではないかと私は踏んでいる。それ以降は急速な減少に向かうため、危機感を抱いている者が多い。

あなたが知っている女性、あるいはあなた自身に子どもがいないとすると、ほかの女性が倍の4.2人を生まないと人口は維持できない。だが、それは無理だろう。

「地球の論点」 スチュアート・ブランド 英治出版

第二次世界大戦後、一時的な出生率の急上昇現象が世界的に発生しました。ベビーブームというやつです。このとき生まれた子どもたちが成長し、大挙して都市へ向かったのが1960年代のことです。彼らはそれまでの文化とは一線を画す、様々な「若者文化」を生み出しました。さて、いつもの通り、ここからわけのわからない方向へ話がズレます。

ロンとラッセルのメイル兄弟がやってるバンド、スパークス。カリフォルニア生まれの二人がバンドを始めたのは1960年代の終わりのことです。スパークスはアメリカでデビューしたものの、全然売れませんでした。スパークスの歌の基本となっているのは「都市での人間の孤独」です。当時のアメリカはまだそんなに「都市化」されていなかったのかもしれません。

彼らは活動の拠点をイギリスに移し、1974年にアルバム「Kimono My House」を発表しました。これが大ヒット、一躍彼らは大人気スター・バンドとなります。イギリスの子どもたちの方が、アメリカよりずっと孤独を感じていたのだと思います。以来、彼らはイギリス、ヨーロッパを中心に活動を続けてきました。「Kimono My House」は不朽の名作として、今も聴き継がれています。

クリスマスといえば欧米の伝統的家庭では家族が集まって過す楽しい日です。でも都市というのは、家族を持たない、あるいは一緒に過ごせない人たちをたくさん生み出す場所です。そんなクリスマスの光景を歌ったのが「Thank God It's Not Christmas」という名曲です。「Kimono My House」に収録されています。

この歌の歌詞、一見リア充を羨み、孤独な自分を嘲笑ってる内容にも見えますが、その程度で40年もの間名曲とは呼ばれたりしません。よく聴けばわかります。この曲は「いつもそこにいる、クリスマスにだってひとり残ってるきみ」へのラヴ・ソングなんです。

つい先日、ロンドンのBarbicanでアルバム発売40年を記念して、フルオーケストラと一緒に「Kimono My House」全曲を演奏するコンサートが開催されました。40年来のファンがたくさん集まって大盛況でした。同じ形式のコンサートは、最近やっとスパークスに共感できるようになったアメリカでも来年2月に予定されています。

あー、少子高齢化の話はどこへ行ったかって?そんなに簡単に片付くわけないでしょ。それはまた考えることにしましょう。だけどスパークスの歌を聴けば、ちょっとだけ幸せになれるよ。

メリー・クリスマス。

耳をすますと何が聞こえる?
おしゃべりとグラスがぶつかる音
たわいもない会話に女性の笑い声
それがずうっと続いてる

目をこらすと何が見える?
外からは様子の見えないお庭
みんなが集まって楽しんでる気配
それがずうっと続いてる

だからぼくは夜になると
居酒屋や行きつけの店へ行き
意外な出会いを求め
なんとか誤ちを犯せないかとがんばるんだ

でもやがて夜が明けて
ところどころかなり同じパターンの
昼ドラみたいな毎日の繰り返し

大勢の人と騒音に紛れ
催眠状態の中、潮の満ち引きみたいに過す
ゆっくりと日が落ちて
また夜になるまで

居酒屋や行きつけの店にたむろする
おなじみの連中をごらんよ
店の照明が暗くなって
「さっさと帰れ」サインが出るまで
ほかに行くところがないんだ

今日がクリスマスじゃなくて良かった
だってクリスマスに
残ってるのはきみくらいで
ほかに何もすることがなくなってしまうから

今日がクリスマスじゃなくて良かった
だってクリスマスには
みんなあたりから姿を消してしまい
きみと過ごすしかなくなるから

クリスマス・キャロルを歌う子どもたち
まだ少しばかり時期が早いのに
でもその歌声は豊かで清らかで透き通るよう

みんな待ち望んでる、みんなが大好きな日
その日がもうすぐやって来る
それに異議を申し立てるなんて
できるんだろうか

もしこれがセーヌ川だったらぼくらもきっと
すごく上品な気持ちなれるんだろうけど
目の前は
大通りのゴミを押し流すただの大雨

今日がクリスマスじゃなくて良かった
だってクリスマスに
残ってるのはきみくらいで
ほかに何もすることがなくなってしまうから

みんなが大好きな日のみんなが大好きな過ごし方は
選ばれた一部の人たちのもの
ぼくやきみのみたいな人間には
まるで関係ない

みんなが大好きな夜のみんなが大好きな礼拝
そこで話され、行われる素晴しいことも
きみにはまるで関係ない

もしこれがセーヌ川だったらぼくらもきっと
すごく上品な気持ちなれるんだろうけど
目の前は
大通りのゴミを押し流すただの大雨