The Jazz Age - The Bryan Ferry Orchestra |
あなたはサミュエル・クレイマーのことをお聞きになったことがあるかもしれません。詩人のようなジャーナリストのような人物で、ファンファルロというダンサーとわけのあった人ですけれど。でも、お聞きになったことがなくても、これからお話しすることにはさしつかえありません。彼は19世紀の初めパリでなかなか威勢がよかったのですが、わたしが1946年に会ったときは、まだその威勢は衰えていませんでした。が、今度はちがう方面ででした。彼は同じ人でしたが、変わっていました。たとえば、当時すなわち百年以上も前には、数十年にわたって、なんのてらいもなく25歳くらいだとうそぶいていましたが、わたしが彼と知りあった頃は明らかに42歳の中年男でした。
「熾天使とザンベジ河」ミューリエル・スパーク (小辻梅子 訳)
初めてロキシー・ミュージック(Roxy Music)、ブライアン・フェリー(Bryan Ferry)の歌を聴いたときのことはよくおぼえています。1975年のことです。ある日、買ってもらったばかりのラジオ・カセットプレイヤーでどこの国だかわからない短波放送のラジオ局を聴いていたらその曲が流れてきたのです。ノイズがひどく途切れ途切れにしか聞こえなかったのですが、メロディーがはっきりと印象に残りました。当時まだ小学生だったのに、なんだかすごく懐しい、前にも聴いたことがあるような気がしました。言葉はわかりませんでしたが、何かとても大切なことを歌っているんだなとわかりました。それがロキシーの「Love is the Drug」だとわかったのは、少し後になって国内の FM ラジオで同じ曲がかかったからです。
それから雑誌でブライアン・フェリーの写真も見つけました。タキシードを着たおじさんでした。当時タキシードを着て歌う歌手というのは大昔のフランク・シナトラや演歌歌手だけでしたから、なぜロックバンドでタキシードを着たおじさんが歌っているのだろうと不思議に思いました。タキシードを着るような歌手の音楽は年寄り向けって感じで好みじゃなかったのですが、ブライアン・フェリーだけは違うと思いました。ブライアン・フェリーやロキシー・ミュージックの曲がラジオでかかることはめったになかったのですが、数少ないオンエアの機会を見つけてはカセットテープに録音して繰り返し聴いていました。
ブライアン・フェリーは昔からよく他人の曲をカバーしています。1970年代前半のソロアルバムはカバー曲ばかりでした。有名な曲もあれば、ほとんどの人が知らないような曲もあります。ロキシー・ミュージックとして出した自分の曲をソロでリメイクしたアルバムまであります。
人と同様、音楽作品にも寿命があります。たいていの曲はやがて人々の記憶から忘れ去られてしまいます。ある時代にたくさんの人が共感した大ヒット曲も、時代が変わればその意味が失なわれ、後から聴き直しても「どうしてこんな曲がヒットしたのだろう?」と感じるものが少なくありません。曲が時代を越えて生き長らえるには、常に新たな生命を吹き込む作業が欠かせないのです。優れたアーティストによるリメイクはオリジナル曲が持っていた価値と意味の再発見を促すとともに、新たな価値と意味を付与します。カバー曲だけが注目されるのではなく、それをきっかけにオリジナルにも脚光を与えることにもつながります。
ブライアン・フェリーの最新作「The Jazz Age」は奇妙な作品です。ザ・ブライアン・フェリー・オーケストラ名義のこのアルバムで、彼自身は歌っておらず演奏にすら参加していません。一般にはロキシー・ミュージックおよびソロとして発表した彼自身の曲を1920年代風のジャズにリメイクした作品と紹介されていますが、もちろん違います。
なぜなら1920年代のパリやベルリンにこれらの曲は「既に存在していた」からです。その証拠がこの「The Jazz Age」です。つまり後にロキシー・ミュージック、ブライアン・フェリーがリメイクすることになる数々の曲のオリジナルがこの「The Jazz Age」に収録されているのです。ロキシー・ミュージック、ブライアン・フェリーのヒット曲は「The Jazz Age」をリメイクしたものです。
言ってることがわけわかんない?わかんなくないよ。だって俺、1926年にパリだったかベルリンだったか忘れちゃったけど、どっかのキャバレーでこの曲で踊ってたもん。