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2013/02/23

リメイク、リモデル (The Jazz Age - ザ・ブライアン・フェリー・オーケストラ)

The Jazz Age - The Bryan Ferry Orchestra

あなたはサミュエル・クレイマーのことをお聞きになったことがあるかもしれません。詩人のようなジャーナリストのような人物で、ファンファルロというダンサーとわけのあった人ですけれど。でも、お聞きになったことがなくても、これからお話しすることにはさしつかえありません。彼は19世紀の初めパリでなかなか威勢がよかったのですが、わたしが1946年に会ったときは、まだその威勢は衰えていませんでした。が、今度はちがう方面ででした。彼は同じ人でしたが、変わっていました。たとえば、当時すなわち百年以上も前には、数十年にわたって、なんのてらいもなく25歳くらいだとうそぶいていましたが、わたしが彼と知りあった頃は明らかに42歳の中年男でした。

熾天使(セラフ)とザンベジ河」ミューリエル・スパーク (小辻梅子 訳)

初めてロキシー・ミュージック(Roxy Music)、ブライアン・フェリー(Bryan Ferry)の歌を聴いたときのことはよくおぼえています。1975年のことです。ある日、買ってもらったばかりのラジオ・カセットプレイヤーでどこの国だかわからない短波放送のラジオ局を聴いていたらその曲が流れてきたのです。ノイズがひどく途切れ途切れにしか聞こえなかったのですが、メロディーがはっきりと印象に残りました。当時まだ小学生だったのに、なんだかすごく懐しい、前にも聴いたことがあるような気がしました。言葉はわかりませんでしたが、何かとても大切なことを歌っているんだなとわかりました。それがロキシーの「Love is the Drug」だとわかったのは、少し後になって国内の FM ラジオで同じ曲がかかったからです。

それから雑誌でブライアン・フェリーの写真も見つけました。タキシードを着たおじさんでした。当時タキシードを着て歌う歌手というのは大昔のフランク・シナトラや演歌歌手だけでしたから、なぜロックバンドでタキシードを着たおじさんが歌っているのだろうと不思議に思いました。タキシードを着るような歌手の音楽は年寄り向けって感じで好みじゃなかったのですが、ブライアン・フェリーだけは違うと思いました。ブライアン・フェリーやロキシー・ミュージックの曲がラジオでかかることはめったになかったのですが、数少ないオンエアの機会を見つけてはカセットテープに録音して繰り返し聴いていました。

ブライアン・フェリーは昔からよく他人の曲をカバーしています。1970年代前半のソロアルバムはカバー曲ばかりでした。有名な曲もあれば、ほとんどの人が知らないような曲もあります。ロキシー・ミュージックとして出した自分の曲をソロでリメイクしたアルバムまであります。

人と同様、音楽作品にも寿命があります。たいていの曲はやがて人々の記憶から忘れ去られてしまいます。ある時代にたくさんの人が共感した大ヒット曲も、時代が変わればその意味が失なわれ、後から聴き直しても「どうしてこんな曲がヒットしたのだろう?」と感じるものが少なくありません。曲が時代を越えて生き長らえるには、常に新たな生命を吹き込む作業が欠かせないのです。優れたアーティストによるリメイクはオリジナル曲が持っていた価値と意味の再発見を促すとともに、新たな価値と意味を付与します。カバー曲だけが注目されるのではなく、それをきっかけにオリジナルにも脚光を与えることにもつながります。

ブライアン・フェリーの最新作「The Jazz Age」は奇妙な作品です。ザ・ブライアン・フェリー・オーケストラ名義のこのアルバムで、彼自身は歌っておらず演奏にすら参加していません。一般にはロキシー・ミュージックおよびソロとして発表した彼自身の曲を1920年代風のジャズにリメイクした作品と紹介されていますが、もちろん違います。

なぜなら1920年代のパリやベルリンにこれらの曲は「既に存在していた」からです。その証拠がこの「The Jazz Age」です。つまり後にロキシー・ミュージック、ブライアン・フェリーがリメイクすることになる数々の曲のオリジナルがこの「The Jazz Age」に収録されているのです。ロキシー・ミュージック、ブライアン・フェリーのヒット曲は「The Jazz Age」をリメイクしたものです。

言ってることがわけわかんない?わかんなくないよ。だって俺、1926年にパリだったかベルリンだったか忘れちゃったけど、どっかのキャバレーでこの曲で踊ってたもん。

2012/12/01

そして何か答が見つかったら、ぼくに教えてほしい (マニフェスト - ロキシー・ミュージック)

Roxy Music - Manifesto

ブライアン・フェリー(Bryan Ferry)のニューアルバムは過去のロキシー・ミュージック(Roxy Music)やソロ作品からセレクトしたセルフカバー集です。ただし1920年代風のジャズ・アレンジ、しかもあろうことかヴォーカル無しのインスト・アルバムでその名も「The Jazz Age」です。

普段ならここでニューアルバムをネタに与太話を書くところなんですが、昨今の状況を考えるとやはり今あの曲について書いておく必要があるという結論に逹し、敢てうんと古い曲をご紹介することにします。

会って話したこともないのに唐突に断言しますが、ブライアン・フェリー(Bryan Ferry)というのはものすごく自分勝手な人です。おそらく本人に悪気とか自覚のまったくない、天然タイプだと思います。

ブライアン・フェリーがロキシー・ミュージックのシンガーとしてデビューしたのは1972年です。ところがその翌年、1973年にはもうソロ・アルバムをリリースしています。しかもロキシーのメンバーがほとんどそのままレコーディングに参加しているにも関わらず、ロキシー・ミュージックではなくブライアン・フェリー名義なんです。普通「何でや?」って思いますよね。たぶん彼にしてみると「ロキシーとは違うことやってるし、そんなに変かな?あれ?前に話したよね?」という感じなんだと思います。1970年代はその後もロキシーのアルバムと並行して毎年のようにソロ・アルバムを発表し続けました。

ただそんな彼でも気付くほど他のメンバーとの関係がこじれてきたのか、1975年の「Siren」を最後にロキシー・ミュージックとしての活動を一旦停止、ブライアンはソロ活動に専念し始めます。大昔のインタビューでブライアンが「ツアーバスで他のメンバーに気を遣って、ほら、あそこにカンガルーがいるよ!とか言うのに疲れちゃったんだ。」なんて言ってたのを記憶しています。気を遣うところが違うだろうと突っ込みを入れたくなりますが、そういう人なので仕方ありません。

ただしその後もソロのレコーディングやツアーにはロキシーのフィル・マンザネラ(Phil Manzanera)やポール・トンプソン(Paul Thompson)がしっかり参加していて何だかわけの分からない人たちです。

そしてそのわけの分からないまま1979年に突然ロキシー・ミュージックの復活作としてリリースされたのがアルバム「マニフェスト (Manifesto)」です。今回ご紹介するのはそのオープニングを飾るアルバムタイトル曲です。

マニフェストというのは声明、宣言を意味します。ロキシー・ミュージックとしてのマニフェストです。ただしブライアン・フェリーがメンバーとよく話し合った結果この曲が生まれた、なんてことはあり得ません。間違いなくブライアン自身のマニフェストです。

マニフェストというのは他人に対して宣言するわけですから、言ったこととやってることがまるで違うというのでは信用を失います。もちろん人間、生きていれば諸般の事情というものがあり、臨機応変に変えていかなければならないことも多々あります。ですから、マニフェスト作りというのは、何があろうと決して変わらないもの、何があろうと決して変えてはいけないものを厳しく自分に問い、見い出す作業となります。

この曲の発表当時、マニフェストというのは一般の日本人が知っている言葉ではありませんでした。私はこの曲でマニフェストという言葉を知りました。そしてマニフェストというのは、こうあるべきものだと確信しました。

ブライアン・フェリーは今もこのマニフェストそのままに生き、歌い続けています。ぜひみなさんにも見習っていただきたいと思います。

ぼくは支持する
不意に襲いかかり
きみに欠けているすべてをもたらす
人生の転機を

ぼくは支持する
数字の順に色を塗るだけの生活に
突如吹き込む一陣の風を
詰み重ねが幸運につながる
さあそれはどうだろう

ぼくは友情と穏かな航海の(とりこ)
寄港地では熱狂で迎えられ
ただ愛に溢れて
激しく握手を交す

あるいは
明日を求める者にとっては
まったく無意味でもかまわない
どの町にも必ずいるだろう
束縛されるくらいなら
死を選ぶようなイカレた男が

ぼくは支持する
きみを死の淵に引きずり込むまで
鉄槌(てっつい)を振るう男を
彼のドリルは
百万マイルの彼方までも震わせる

ぼくは支持する
革命の女神の到来を
彼女がどこにいるのか知らない
だけどその場所はここだと言い切る者たちを
ぼくは知ってる

しばしばぼくは
不完全さに苦しんできた
大理石に入ったひびと
涙でいっぱいの
弱々しく疲れ果てた顔を
ずっと調べていた

ぼくは動機なく戦うために
どこでもない場所で生まれた男
根はその性質に逆らい
無理矢理ピンと張っている

ぼくを信じたほうがいい
出会うものに疑問を投げかけ
そして何か答が見つかったら
ぼくに教えてほしい

2012/04/17

人はなぜ沈み行く船に魅かれるのか (Song To The Siren - ブライアン・フェリー)

Siren - Roxy Music  1975 by oddsock
Siren - Roxy Music 1975, a photo by oddsock on Flickr.

サイレン(The Siren)というのは、ギリシャ神話に出てくる岩礁に住む妖怪の名前です。上半身は女性で、下半身は魚の姿をしています。英語だとサイレンと発音するんですが、日本語ならセイレーンとかシレーヌと呼んだほうが雰囲気が出ます。セイレーンは美しい歌声で船を引き寄せ、沈めてしまうと言われています。

今年はタイタニック号沈没事故から100年ということで、イギリス各地で様々なイベントが開催されています。そのひとつが4月13日にベルファストで開催された MTV 主催のタイタニック・サウンズ・コンサートで、ブライアン・フェリー(Bryan Ferry)も出演してセイレーンの歌を歌いました。

「Song To The Siren」という曲、オリジナルはティム・バックリー(Tim Buckley)で、1970年のアルバム「Starsailor」に収録されてる古い曲です。ブライアン・フェリーは2010年のアルバム「Olympia」でこの曲をカバーしています。

実はブライアン・フェリー、1975年にロキシー・ミュージック(Roxy Music)でその名も「サイレン(Siren)」というアルバムを作っているんですが、このアルバムに「Song To The Siren」は収録されていません。当時はこの歌の存在を知らず、ずっと後になってディス・モータル・コイル(This Mortal Coil)のカバー・バージョンを聴いてこの曲を知ったそうです

さて、ビデオはオーケストラをバックにセイレーンの歌を歌うブライアン・フェリーです。コンサートにはほかにも色々な人が出てたみたいなんですが、この人、この曲が完全に主役です。まるでこの歌のためだけに開かれたコンサートのようです。

ティム・バックリーのオリジナルはあくまでギリシャ神話を題材に取った、悲しいラヴソングなんですが、ブライアンが歌うと世界が一変します。沈みゆく自らの運命、その官能的な悦びに溢れています。また、嫌がるセイレーンにつきまとうストーカーの歌のようでもあります。

沈み行くタイタニック号の船内では、オーケストラが最後まで演奏を続けていたという話がありますが、その曲はこの「Song To The Siren」に違いありません。

船影ひとつない海原を、長いことただよっていた
きみがその瞳と指で歌い
きみのいる島へ
ぼくを引き寄せてくれることを願って

きみの歌声が聴こえた

へさきをこちらに向けて
ここまで辿り着いて
あなたをこの手に抱かせて
わたしはここよ
わたしはここよ
あなたを抱きしめたくて
待っているわ

きみがぼくを夢に見てくれることを
ぼくは望んでいたのだろうか
キツネのぼくを、きみが追いかける夢を
ぼくの無謀な船は
岩場で痛手を受け
もう傾きはじめている

きみの歌声が聴こえる

わたしに触れないで
わたしに触れないで
ここへ来てはいけない
もう悲しむのはいや

生まれたばかりの赤子のように
ぼくは途方にくれ、潮の流れに戸惑っていた
波の渦に足を踏み入れるべきなのか
横たわり、死を花嫁として迎えるべきなのか

ぼくが歌う番だ

ここへ来て
ここまで泳いで来て
きみをこの手に抱かせて
ぼくはここにいるよ
ぼくはここにいるよ
きみを抱きしめたくて
待っているよ

2007/01/27

ナイチンゲール - ロキシー・ミュージック

What is this I hear? I recognise that song

朝、目が覚めた瞬間に脳内ジュークボックスから曲が流れ出すことがよくあります。何かのお告げですね。今朝はいきなりフィル・マンザニラ(Phil Manzanera)の

ちょわんわん、ちょわわわん、ちょわわわん、ちょわちょわん

というギターが流れ、ブライアン・フェリー(Bryan Ferry)が

びぃい ふぉざもにんかむず うぃらいひよさん

と歌い出しました。本日の1曲目はロキシー・ミュージック(Roxy Music)のアルバム「セイレーン(Siren)」から「ナイチンゲール(Nightingale)」です。聴いてください。

顔洗って、朝ごはん食べてもまだ流れてます。最初は「なんでナイチンゲールなんだろう?」って思いました。ナイチンゲールは夜鳴きうぐいすと呼ばれている通り、夜に鳴く変な鳥なんだそうです。夜が明ける前にふと目を覚ましたら、って状況ならわかるんですが、起きたのは朝どころか昼の11時近くです。ナイチンゲールが鳴く時間帯じゃありません。

でも、あたしわかっちゃったんです。そうか、まだ夜は明けていないんだなって。これってブライアン・フェリーの十八番「目覚めることはない、夜にとどまれ」って歌ですもんね。

おやすみなさい。