前回のポーリン・マーレイのアルバムに引き続き、「FACT番号の無いファクトリー作品」の話です。
ヴィニ・ライリーが脳梗塞で倒れ、正式リリースが遅れていたドゥルッティ・コラム(The Drutti Column)新作「Chronicle(年代記)」が今年7月にやっと正式リリースされました。
ドラマーのブルース・ミッチェル(Bruce Mitchell)によると、この作品はヴィニが今まで出会ってきた友人たちの肖像を音楽で描いたもので、いわばエドワード・エルガー「エニグマ変奏曲」のドゥルッティ・コラム版とも言えるものだそうです。
同じ「Chronicle」と題されたアルバムとして、2011年マンチェスターでの特別ライヴのチケット購入者限定で配布されたものがあるのですが、今回リリースされたのはこれを再構成し新たな作品を加えた2枚組「Chronicle XL」です。一枚目が2011年の録音を再構成したChronicle One、二枚目はヴィニの60歳を記念して追加された内容のChronicle Twoとなっています。
CDは化粧箱入りのパッケージになっていて、ヴィニが撮影した友人たちのポートレート写真が掲載したブックレットが同梱されています。さらにヴィニが暮らしていた町の地図のポストカード、ピンバッジのほか、一枚のサンドペーパーが入っていてその裏には2011年版Chronicleのダウンロード・コードが記載されています。
前述のブックレットでブルース・ミッチェルがこのアルバムの成り立ちとヴィニの状態について詳しく書いていますので、それをご紹介します。
一緒に仕事をするのが難儀な人間といえば、まず第一に名前が挙がるのがヴィニ・ライリーでしょう。二番目は私かもしれませんが...
このアルバムの成り立ちについてお話ししましょう。曲の多くは2011年、ブリッジウォーター・ホールで開催したプレミア・ショーでのお披露目に向けて作られたものです。
このアルバムの始まりは、友人たちの肖像を音楽で描いた作品群をヴィニが撮影したポートレイト写真と一緒にアルバム化するという企画で「バイオグラフィーズ」と呼んでいました。私はこの思い付きとヴィニが撮った写真を大いに気に入ってました。おそらく私から言い出したアイディアだったと思います。
エルガーやバッハ、ヴィヴァルディといった作曲家たちは友人たちを音楽で描いたロマンチックな作品を残しています。ヴィニ・ライリーなら同じことができるはずだ。私はそう考えたのです。また音楽と写真を一緒にパッケージングしてちょっとした「アート作品」を世に出す良い機会だとも考えました。そうです。結局のところ、私たちは今もトニー・ウィルソンの子供たちなんです。
ヴィニはうなずいてこのアイディアに同意してくれましたが、さてどうなることか。一旦レコーディングの現場に入ってしまえば自分のやりたいようにやる、それが彼です。またスタジオ入りするためなら、どんなリップ・サービスも厭わずやってのける奴です。
私たちの長年に渡るプロデューサーを続けてるイカレポンチ、インチ・スタジオのキアー・スチュワート(Keir Stewarts)が全体の指揮を努め、ジョン・メトカルフェ(John Metcalfe)、テイム・ケレット(Tim Kellett)のほかヴィニの恋人ポピー・モーガン(Poppy Morgan)がピアノ、ドラムと洗濯と士気の担当が私という布陣でした。
集中、そして続く強力な音楽、ヘッドフォンを通じて鳴り続けるユニークなギターの音に合わせ、ドラムキットでガタガタ音を鳴らす、私はこのような場にまた参加できたことを嬉しく思いました。相棒の巨匠くんがゲームの掛け金を引き上げたら、私もそれに食らい付きました。
ところが突然、ポピー・モーガンが演奏を止めてしまいました。起伏の激しいアーティストの気性にはもう耐えられない、別れてアジア旅行に行くと言い出したのです。この出来事により、ヴィンセント・ジェラルド・ライリーは宇宙にさまよい出してしまいました。絶望の淵に滑り込み、「バイオグラフィー」のプロジェクトはエドガー・アラン・ポー風の陰鬱で暗く荒れ狂った失恋物語の様相を呈し始めました。私の勘違いだったと思いたいのですが、そのサウンドはまるで「Pain is Bright(訳注: アルバム LC収録Never Knownの歌詞)」でした。
2011年4月30日、私たちはプレミアショーをブリッジウォーター・ホールで開催、背景スクリーンにヴィニが撮影した写真を投影しながらバイオグラフィーズの曲を演奏しました。ある意味、私たちが悪戦苦闘するさまを披露したようなもので、観客にとっても同様だったと思います。どうにかこうにかショーをやり遂げたのですが、気付いてみると最後の写真が手違いにより終演後もスクリーンに映されたままになっていました。たくさんの観客を見下ろすように映し出されていたのはトニー・ウィルソンの写真でした。彼ならきっと「これこそ『イヴェント』だな」と言ったことでしょう。
その後もポピーは戻って来ませんでしたが、ヴィニは自分のベッドルームに篭り、創作に没入するようになりました。床にひざまずいたり、しゃがんだりしながら、借り物のポータブル・スタジオ機材を使って作曲し、サンプリングし、過去の音源を再加工し、ギターサウンドを入れ、ささやくようなヴォーカルをトラックに追加していきました。今から40年近く前、両親の住む家で作品を作り始めたときとまったく同じ方法です。彼はベッドルームの床に戻ってきたのです。
そのさらに数ヶ月後、ヴィニは玄関で倒れ救急車を呼びました。脳梗塞の発作が起きたのです。このため私たちはアルバム「バイオグラフィーズ」の制作を一旦中断し、ドゥルッティ・コラムの過去作品のリイシューと特別盤のリリース作業に専念することにしました。協力してくれた友人はKookyレーベルのフィル・クリーヴァー(Phil Cleaver)とファクトリー・ベネルクスのジェイムス・ナイスです。私たちは彼らの連帯と紳士的行為に大きな恩を感じています。
入院、治療中も遅々としてではありますが、ヴィニは音楽を続けていました。あるときは病院のベッドに赤いギブソンSGを引き摺ってきて「技能」と健康を取り戻そうとしていました。ギブソンSGならネックが細くて彼の衰えた左手でも握りやすいという理由でこのギターを選んだのです。その後さらにインチ・スタジオへ短時間ながらも通って絶望からの回復に努めました。ビル・ランス(Bill Rance)とローズ・バーリー(Rose Birley)が歌い、キアー・スチュワアートがとりまとめ役を買って出てくれ、演奏のほか彼のあらゆる社交術を駆使して精神の安定に努めてくれました。そしてヴィニ、私は彼をこの戦いのマン・オブ・ザ・マッチに選出します。
いかなることがあろうと「人の胸に希望は永遠に湧き出る」ということです。私と一緒にあなたも肝に命じておいてください。そして私たちはついにこの美しい作品を完成させました。私はいつも車で町中を忙しく走りまわりながら、このアルバムの曲を流しています。とても快適です。もうヴィニからの奇矯な電話に煩わされることもありません。
「アルバムのタイトルはChronicleでいいかな?」彼が尋ねました。
「もしろんさ。Chronicleのパート1とパート2だよ」私はそう応えました。さて紳士、淑女のみなさん、作品の評価については議会に委ねることをお許しいただければと...
2014年 ブルース・ミッチェル
一時はブルース・ミッチェルでさえ絶望的と言っていたヴィニ・ライリーの体の状態ですが、少しずつギターが弾けるようになってきています。今年5月にはブルースと一緒にChorlton Arts Festivalのステージで演奏もしました。つい先日はSome Kind of Illnessのメンバーと一緒にカフェでギターを弾くヴィニの姿がFacebookにアップされていました。
このほか 昨年のインタビューで「ミケーラ・ターナー・ノーラン(Michaela Turner Nolan)という素晴らしいナチュラル・ヴォイスの女性と出会ったんだ。すぐにでも次のアルバムを作りたい」なんて言ってるんですが、女性には注意した方がいいと思うなあ。前のポピー・モーガンだってヴィニの娘くらいの年齢でしょう。Myspaceにはこんな写真載せ ちゃってたし...。
まあとにかく、ヴィニが元気になってきて良かったです。案外イメージとは裏腹の助平さんなのかもしれませんが、それが生きる活力になります。
(2015/01/18追記)
アルバムChronicle XLはiTunesやAmazon MP3でもリリースされ、入手しやすくなりました。