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2014/11/03

「ファクトリー」番外の名作 Pauline Murray and the Invisible Girls

Pauline Murray and the Invisible Girls

この10月、1980年にリリースされたポーリン・マーレイ・アンド・ザ・インヴィジブル・ガールズ(Pauline Murray and the Invisible Girls)唯一のアルバムが突如、リマスターで再リリースされました。

かのマーティン・ハネット(Martin Hannett)がプロデュースを手がけた知る人ぞ知る名作です。ポーリン・マーレイと彼女のパートナーでありベーシストのロバート・ブレミア(Robert Blamire)を中心に、スティーヴ・ホプキンス(Steve Hopkins)、ヴィニ・ライリー(Vini Reilly)というファクトリー勢とバズコックス(Buzzcocks)のジョン・マー(John Maher)という一部の人々にとっては涙が出るほどの豪華メンバーで作られた作品です。録音はストロベリー・スタジオでジャケットのデザインはピーター・サヴィル(Peter Saville)が担当、レコードは当時RSOというレーベルからリリースされたのですが、事実上の「ファクトリー」作品と言って差し支えありません。

あ、トニー・ウィルソン?トニーもちゃんとレコーディング中、スタジオに顔出してますよ。

「ポーリン・マーレイなんて名前、知らない」という方も多いでしょうから、まず簡単にご紹介しておきます。オリジナルのパンク少女です。1976年、イングランド北部、人口数万の小さな都市ダラムに暮していた当時18歳のポーリンは、まだレコード・デビュー前だったセックス・ピストルズのギグを観に行って大きな衝撃を受けます。これこそ自分が求めていたものだ、こうしちゃいられない、自分もステージに立たなくちゃ、そう考えた彼女は近所の楽器を弾けそうな男の子たちをかき集めてバンドを結成します。そのバンドがペネトレーション(Penetration)です。

きわめて早い時期に登場したパンク・バンドということもあり、ペネトレーションは翌年1977年にはもうヴァージンとの契約を果し、ファースト・シングルをリリースします。さらに翌年にはファースト・アルバム「Moving Targets」を発表、UK チャートの上位に食い込みます。

このペネトレーション、パンク・バンドとして売り出されたんですが、実はいわゆるパンクとは一線を画す異なるユニークな音楽性を持っていました。ポーリンのノンビブラート、直球ど真ん中勝負の声、パンクなのになぜかポップで哀愁を帯びたメロディー、妙に整った曲構成とアレンジ。作曲の中心になっていたポーリンやロバートの才能でしょうね。おまけにギターのサウンドがメタルなんですよ。当時パンク・バンドでギターが「キュィイーーン」というのは暗黙の禁じ手となっていたのですが、ペネトレーションのギターは平気でキュィイーーンなんですよ。たぶん近所でメンバー集めたときに「あんたギター弾ける?じゃギター担当で決まりね」って感じでやったので、そうゆうタイプのギターが混ざってしまったのでしょう。結果的にそれがユニークなサウンド作りに大きく貢献しました。

一時は北米ツアーをするくらいまでになったのですが、2枚目のアルバムは思ったように売れず、レコード会社も「パンクはもうおしまい、次!」ということになり、1979年にはもう解散してしまいました。

ペネトレーション解散後、ソロとしての再起をかけたポーリンがマーティン・ハネットに自らプロディースを依頼をして作成したアルバムがこの「Pauline Murray and the Invisible Girls」です。

アルバム再発までの経緯と当時の状況について話をしている最近のインタビューがありましたので、ご紹介します。

ダークなポップ・アルバム。曲は意図してポップにつくろうとしたわけではなくて、自然にそうなったの。わたしの声はすごくキャッチーに録られてるけど、その後に発表された他の音楽のようにクリーンなポップじゃなく、ちょっとトゲがある。

あれはマーティン・ハネットがプロデューサーとしてその後80年代に出したアルバムの青写真的なもの。転換点だったのよ。ちょうどレコーディングをしている最中にイアン・カーティスが自殺をして、異様なムードが取りまいていた。

アルバムはRSOレーベルからリリースされたんだけど直後に突然潰れてしまって、それっきりわたしはレコード会社との契約も無くなってしまった。テープはずっとわたしたち(ロバート・ブレミアとポーリン・マーレイ)が所有していて、何とか再び世に出したいと思ってた。だってあればミッシング・リンクで「ファクトリー」ともつながっているものなんだから。権利も自分たちで持ってたから何度もリリースしようとしたんだけど、力が及ばなかったの。

ところがうれしいことにこの3月、クレスプキュールのジェイムス・ナイスから再リリースについて打診があったの。

あの作品を作ったのは自分なんだけど、当時のわたしはこの上なく落ち込んでいたの。ものすごくつらい時期だった。きっとそのときの気持ちがあのレコーディングに詰まっているんだと思う。ペネトレーションでの経験しかなかったから、マーティンやセッション・ミュージシャンたちとやることに自信がなかったのよ。そんなの初めてだったから。

マーティンと一緒にレコーディングを始めると、なんだか音楽が自分の手を離れていくような気がした。曲のデモを演奏してその録音を聴き直したら、いつの間にかアレンジができ上がってるのよ。まだピアノやストリングス、セッション・ミュージシャンの誰とも一緒に演奏していないのに。

マーティンは他のプロデューサーとは全然違っていた。じゃヴォーカル、もう一度やってみよう、次はきっともっと良くなるよ、なんて言うのが普通のプロデューサー。だけど彼は何ひとつ指示しないの。彼はただバックトラックを流して、わたしはそれに合わせて歌う。またトラックを流してわたしが歌う。それからまた歌う、また歌う、この繰り返し。これが延々10回くらい続くのよ。しまいにはもううんざり。

最近ウェイン・ハッスィー(Wayne Hussey)と話す機会があったのだけど、彼も同じことを言ってた。ウェインはギター・パートを録音してたんだけど、何度演奏してもコントロール・ルームから何ひとつ指示がなくて、10回を越えたところで辛抱たまらずコントロール・ルームに入って行ったら、そこにはマーティン以外誰もいなくて、しかもデスクの下で寝てたんだって。テープだけリピート設定されてたって。万事がこの調子だったのよ。

箱にしまってあったマスターテープは一部音が消えていたりで、期待していた状態じゃなかったの。だけど箱の中には未開封の日本版のレコードが残っていて、それを基準として使うことができたの。技術が発展したおかげ。オリジナルのテープは劣化してひどい音になっていたから、全部マスタリングし直す必要があったのだけど、新品状態のレコードが残っていたのでそれを基準にしてオリジナルのサウンドを再現することができた。ジェイムス・ナイスがすごくいい仕事をしてくれたおかげで素晴しいサウンドに出来上がったのよ。

NTERVIEW: PAULINE MURRAY. INVISIBLE GIRL.

ここで本人が言ってる通り、アルバムはリリースされたもののレコード会社がその直後に倒産、プロモーションが充分に行われなかったせいもあって、音楽誌や一部の人たちにとても高く評価されたにもかかわらず、ヒットには至りませんでした。

その後34年、現在に至るまで彼女はどうしていたのでしょう。これも同じインタビューで語っています。

このファースト・ソロ・アルバムをリリースした後、10インチ・シングルの「Searching for Heaven」も出したんだけど、その後でRSOが潰れてしまいレコード会社との契約がなくなってしまったの。ニューカッスルの家を出てロンドンに3ヶ月住んで、その後ロバートと一緒にリバプールのトックテスへ引っ越したんだけど、その1週間後に暴動が起きた。その頃色々なゴタゴタも抱えていて、家に帰ることもできなかった。音楽の世界から逃げ出したわたしはもう二度とカムバックできないんじゃないかと感じてた。わたしは歌がうまいわけじゃないし、もうおしまい、もうこれ以上続けたくない。次のレコード会社との契約も望めなかったから、音楽の世界に背を向けようとした。

それでもどうにかニューカッスルへ帰って、Chrysalis音楽出版の人に会ってみると、その人はInvisible Girlsのアルバムを作成したとき作曲者契約を担当した人だったの。おかげで何曲か作って、Big Starのアルバムの曲Holocaustのセッションにも参加できた。これで自信がついてまた次のステップに進むことができた。ただ作曲家契約はしたものの文無し。どのプロジェクトもお金にならなかった。自前のレーベルPolestarを立ち上げ、バンドを組んでStorm Cloudsとしてアルバムをリリース、国内で何度かライヴもしてみた。80年代の中頃のこと。誰も興味を持ってくれなかった。

ロバートの家は印刷屋をやっていたから、彼はしばらく帰ってその仕事をすることになった。わたしは1年ほどレストランで皿洗いの仕事をした。それが当時のわたしにはできる精一杯のことだったから。だけどそのおかげで現実の世界に戻ることができた。

リバプールに住んでいた頃から、わたしはいつかリハーサル・スタジオを開きたいという夢を持っていんだけど、偶然にもひとりの地主さんから「この物件をきれいにしてくれるなら家賃は数ヶ月分無料にするよ」って話があったの。わたしは思い切って契約を結んだ。何もないところから始めたんだけど、次第に仕事としての体を成してきて、それが今のPolestarスタジオになったの。

数年前、カウンシルから建物をひとつ買い取って、今の場所に移転したの。メンテナンスされずに放置されてた建物だったけど、自分達で全部直してね。今ではリハーサル・スタジオが4つ、レコーデイング・スタジオも1つあるのよ。マキシモ・パーク(Maxïmo Park)やジョン・アシュトン(John Ashton)もここを使ってるのよ。長いことかかったここまできたの。子供は二人いてもう大人になってる。昔とはぜんぜん違う生活。

2001年にはペネトレーションを再結成して何度か素晴しいショーもできたし、すてきな人たちとも出会えた。数年前、マーティン・スティーヴンソン(Martin Stephenson)の勧めでヴィヴ・アルバーティン(Viv Albertine)、ジーナ・バーチ(Gina Birch)、ヘレン・マコッカリボック(Helen McCookerybook)と一緒に何曲か演ることになって、それがきっかけでアコースティック・ギターを弾くようになったの。まだほんとに数曲しか作ってないんだけど、今までの曲とはまったく違ったものになってる。

1年くらい前からペネトレーションを呼びたいというオーストラリアのプロモーターから話を受けていたのよ。だけどオーストラリアでペネトレーションはほぼ無名のバンドだから、ファン開拓のためにシドニーとメルボルンでアコースティック・ライヴをやって、色々プロモーション活動をすることにしたの。ソロでのアコースティック・ツアーなんて初めてで新たな挑戦だけど、これまでやってきたライヴ同様、すごくやりがいを感じる。ペネトレーションとは正反対のくつろいだ感じのライヴになるはず。

ちょうどこれを書いてる今、ポーリンは初のオーストラリア・ツアーの真っ最中です。

最後に、このアルバムから当時シングル・カットされた「Mr. X」という曲をご紹介します。2014年の今も、充分に聴く価値のある曲です。歌の背後に漂っている特徴的なギターの音はもちろんヴィニ・ライリーによるものです。

言われた通りに笑ってください
次に笑い者になるのはあなたなんです
スポットライトに照らされてるあなたを
みんなが注目してますよ

明日、あなたはお金持ちになってるかも
明日、あなたはお金持ちになってるかも

この白線の上に立ってください
ただのゲームですよ
問題に答えるんです
ではお名前をどうぞ

明日、あなたはお金持ちになってるかも
明日、あなたはお金持ちになってるかも

勝つために屈辱に耐えなくちゃならない
友達がみんな期待してる
だけどどうしたらいいんだろう
勝つために屈辱に耐えなくちゃならない
友達がみんな期待してる

制限時間は20秒
問題は20問です
迷ってるひまはありませんよ
この目隠しを付けてください
では照明を消します

明日、あなたはお金持ちになってるかも
明日、あなたはお金持ちになってるかも

カウントダウン開始です
選択肢は10個、どれを選びますか
生涯もう二度とないビッグチャンスです
でもここであなたの集中力は切れ
言葉が出なくなる

明日、あなたはお金持ちになってるかも
明日、あなたはお金持ちになってるかも

2012/03/03

You're A Million - ザ・レインコーツ

The Raincoats @ ATP (Curated by Pavement), Minehead 05/2010 by DG Jones
The Raincoats @ ATP (Curated by Pavement), Minehead 05/2010, a photo by DG Jones on Flickr.

例によってどこもニュースにしないので、オラが謹しんでお知らせします。レインコーツ(The Raincoats)のおばちゃんたちが昨秋に引き続き、今月また北米ツアーに出ます。

まあツアーといっても6ヶ所だけなんですけどね。前々から9日の ATP 出演は決まっていたので、「1回だけじゃもったいないから、ついでに何ヶ所か廻ろっか?」ぐらいのノリなんだと思います。無理はしないんです。

無理はしなくていいんだけど、でも、もうそろそろ新作を出してもいいんじゃないかなあ。前作の「Looking in the Shadows 」から16年も経ってるんだし、また日本にも来てほしいし。

ビデオは2010年来日時のステージです。前にも書いた通り、レインコーツのライヴ・ビデオにはちゃんと撮られたのがほとんどないんですが、これは Contrarede が正式に撮影したものなので、画質、音質共にばっちりです。

曲は1979年発表のファーストアルバムに収録されてる「You're A Million」です。未練たらたらの別れ話を歌ったものなんですが、立派なおばちゃんになったレインコーツが歌うと、長年連れ添い、定年退職になったばかりの旦那に三行半を突き付ける歌にも聞こえます。切ないです。自分の怒りと悲しさだけじゃなく、相手の行く末まで憂えているようで、とっても切ないです。

だけどやっぱり、ヴァイオリンのアン・ウッド(Anne Wood)はセクスィでかっこいいなあ。子どもにはわかんないだろうけど。

もうおしまい

これでいいでしょう
私は誰も愛さなかった
雨があなたを濡らすことはなかったし
お日様があなたを暖めることもなかった

もうおしまい

これでいいでしょう
あなたは何も支払う必要なんてない
わたしは何も失っていないんだから
もう止めにしましょう
出ていってちょうだい

あとは何でも勝手にするがいいわ
もうあなたなんかに煩わされたくない
本当にイライラするの
四方を壁で囲まれてるみたいに

もうおしまい

これでいいでしょう
私は誰も愛さなかった
あなたとは、もう風前の灯
ずっとあなたを愛してたのに
あなたとは、もうおしまい
あなたのことが好きだったのに

わたしたちは風前の灯
わたしたちはもうおしまい

2011/09/23

Don't Be Mean - ザ・レインコーツ

The Raincoats by Jason Persse
The Raincoats, a photo by Jason Persse on Flickr.

ウェストボーン・グローブをあなたが歩いてるところを見かけた。手を上げていることに気づいた。空に向かって、うんと高く上げていた。でもそれはわたしに手を振っていたんじゃなくて、黒い大型のタクシーを停めるためだった。そしてあなたは素早く乗りこんで行ってしまった。

ねえ、わかってる?わたしは木なんかじゃないのよ。わたしの名前はBirchだけど、樺の木なんかじゃないの。なのにあなたはわたしを無視する。

それでもかまわないのだけど、やっぱりわたしは考えはじめてしまう。わたしたちが年を取って白髪頭になっても、きっとわたしのことを見て見ぬふりをするんだわ。きっとあの日みたいにふるまうのよ。

いつかある日、わたしたちは、それぞれ孫たちと一緒に公園のベンチに腰かけるの。そしたらあなたは「こっちにおいで!」って大きな声を出すんだわ。でも呼んでるのはわたしのことじゃなくて、孫のジミーかジェニーかジャックのこと。きっとわたしたちのどちらかは、心臓を悪くしてるわね。

「おじいちゃん、おじいちゃん!どうしたの?早く動物園へ行こうよ!」
「静かにしろ、ジミー!だまってわしの手を握って歩くんだ!」

それでもかまわないのだけど、やっぱりわたしは考えはじめてしまう。わたしたちが年を取って白髪頭になっても、きっとわたしのことを見て見ぬふりをするんだわ。きっとあの日みたいにふるまうのよ。

そんなのわたしの勝手な思い込みだって、きっとあなたは言うわね。妄想体質だとか何とか。でもあなたに会ってからもう1年以上たつのよ!もうこれ以上涙をかくせないの。

あなたは冷たくふるまって、去って行った。でもわたしは本当にあなたのことが大好きだったのよ!意地悪しないでよ!意地悪しないで!ねえ、わたしに意地悪しないでってば!

それでもかまわないのだけど、やっぱりわたしは考えはじめてしまう。わたしたちが年を取って白髪頭になっても、きっとわたしのことを見て見ぬふりをするんだわ。きっとあの日みたいにふるまうのよ。

さようなら、愛しい人。さようなら。

レインコーツ(The Raincoats)のおばちゃんたちは現在北米ツアーの真っ最中です。まあツアーと言っても7ヶ所だけなんですけどね。それでも1982年以来、スポットでのフェス出演などを除けば実に29年ぶりの北米ツアーです。あちこちのブログやニュースのライブ評で「すんばらしい!」という声が上がってます。

ライブで必ず演奏される「Don't Be Mean」は、1996年にリリースされた4枚目のアルバム「Looking in the Shadows」に収録されているんですが、けしからんことにこのアルバム廃盤なんですよ。ほかの3枚のアルバムは権利を取り戻して、自分たちのレーベル We ThRee からリリースしてるんですが、「Looking in the Shadows」だけは大手ゲフィン・レコードから出したことがアダとなってるのか、再発できないようです。ただし同じ曲の別テイクがEP「Extended Play」に収録されており、こちらは入手可能です。

この曲はジーナ・バーチ(Gina Birch)の作品で、彼女がリード・ヴォーカルを取っています。彼女が40歳の頃に作ったブライアン・フェリーばりのパラノイア・ラブ・ソングです。ジーナが50代半ばになった今もこの曲を大きな声で歌い、多くの人がそれに感動しているって事実、とても素晴らしいことだと思います。これこそパンクです。

2011/07/23

PiL の MOJO Honours List 受賞とロンドンのライドン邸火災と PiL 新作レコー ディング情報

Johnny Rotten PIL by .noir photographer
Johnny Rotten PIL, a photo by .noir photographer on Flickr.

先週末に UK 音楽誌 MOJO 主催の MOJO Honours List 2011 の授賞式が開催され、我らが PiL(Public Image Ltd.) も Outstanding Contribution to Music というのを受賞、ジョン・ライドン(John Lydon)が授賞式に出席しました。

この MOJO Honours List というやつは読者の年齢層が高いためでしょうね、今売れてる旬のアーティストよりも、実績のあるベテラン・アーティストが多く受賞することで知られてまして、今回もリンゴ・スター(Ringo Starr)、ブライアン・ウィルソン(Brian Wilson)、エディー・フロイド(Eddie Floyd)、スティーブ・クロッパー(Steve Cropper)など、ええと今年は1969年でしたっけ?という顔ぶれが並んでいます。

ジョン・ライドンは2008年にもセックス・ピストルズ(Sex Pistols)で Icon Award を受賞していますが、今回は PiL としての受賞です。受賞した Outstanding Contribution to Music というのは日本語にすると音楽功労賞ってとこかな。歴代の受賞者を調べてみるとシガー・ロス(Sigur Rós)、ポール・ウェラー(Paul Weller)、ジョイ・ディヴィジョン(Joy Division)っておいおい、賞を授ける順番完全に逆転してるんじゃねえの? PiL が真っ先に来るはずだろうって感じですが、まあ2009年末まで長らく休止状態だったバンドなので良しとしましょう。

プレゼンターは豪華絢爛、ホークウィンド(Hawkwind)のデイヴ・ブロック(Dave Brock)、レインコーツ(The Raincoats)のアナ・ダ・シルバ(Ana da Silva)とジーナ・バーチ(Gina Birch)の3人です。デイヴが「ええっとスピーチの原稿は...犬のビスケット?こりゃ買い物リストだった」とベタなギャグを飛ばし、アナとジーナが(ジョンのお尻の穴がむずむずするような)賛辞を述べた後でジョン・ライドン登場です。着ているジャケットがとてもお洒落です。ところがジョンはデイヴから受け取ったトロフィーをいきなり床に放り投げてスピーチを始めます。これまで PiL として活動していくことがいかに困難だったか、レコード会社や音楽業界は何のサポートもしないだけでなく、借金漬けにして足を引っ張り活動の邪魔をしてきたこと、友人(兼マネージャー兼ボディガード兼ヘアスタイリスト...)のジョン・ランボー(John Rambo)が PiL のメンバーと言って過言ではない貢献をしていることなどを話した後「イングランド、俺たちはあきらめない!俺たちの国は音楽で最高の国だ!」と締めくくり、最後にトロフィーを床から拾って帰ります。照れ屋さんなんでいつもこんな感じです。

以上が授賞式の模様なんですが、ニュースサイトなどで今話題になっているのはこの授賞式の後でジョンが話した内容です。BBC News には次のように書かれています。

俺がイタリアへのツアーでちょうどステージに上がろうとしていたとき、妻から電話があったんだ。「ジョン、あなたを動揺させたくないんだけど、家が燃えてしまったの」ってさ。ここ2年くらいロンドンの家には帰ってなかったんだが、久々に帰って掃除しようと考えていた矢先に火事になってしまったんだよ。

80年代前半から彼はずっとロサンゼルスに住んでいるためロンドンの家はずっと空家状態だったようなのですが、妻のノーラがいたということは、新作のレコーディングを機に生活の拠点をロンドンに戻そうと考えて準備していたところだったのかもしれません。火災の原因は台所にあった脱水機の故障だということですが、ノーラは怪我もなく無事だったそうです。またこの火災で PiL の新作用に書いた曲も燃えてしまったそうですがジョンはこう言ってます。

そんなの全然問題じゃない。(ノーラが無事だったことが)俺の人生最大の朗報だよ。

いつものおノロケです。まあジョンとノーラが無事なら曲の10曲、20曲燃えたところで心配ありません。家が燃えたためにまたお金も必要になるでしょうから、新作のレコーディングにさらに力が入ることでしょう。

Twitter を今 John Lydon で検索すると火事の話題だらけなんですが、その中で肝心な Tweet が見過ごされています。これです。

John Lydon is recording a new PiL album at Steve Winwood's studio; it should be ready by the end of the year. Interview in Monday's The Star7月22日 via web Favorite Retweet Reply

PiL の新作はスティーブ・ウィンウッド(Steve Winwood)のスタジオでレコーディング中。年内に完成予定。インタビューは月曜の The Star に掲載予定、とのことです。

(追記)別の記事には火災のときジョンがいたのはイタリアじゃなくてロシアだったって書いてありますね。被害は全焼ってほどでもないみたいで、早速修繕の始まった部屋に立つノーラの写真が載ってます。それからお約束のジョンのサービストーク「火災の原因は脱水機だ。出火当時中には俺のパンツが入ってたんだけど、難燃性の素材じゃなかったんだ。」ってのが。

2011/05/05

ザ・レインコーツ・アット BBMIX フェスティヴァル 2010

最近のレインコーツ(The Raincoats)のライブ映像、色々 YouTube に上がってるはいるんですが、どれもこれもハンディカメラで撮ったようなショボイやつばかりで、もっとちゃんとしたのないのかよ、レインコーツだぞ、レインコーツ、レインコーツが演奏してるんだからちゃんと撮ったの出せよとか文句言いながら探してたら出てきました。昨年の11月、パリでおこなわれた BBMIX フェスティヴァル 2010でのライブの模様です。フェスティヴァル主催者が公式にアップしたものなので、演奏もジーナ・バーチ(Gina Birch)の顔のシワも実にクリアに撮れています。

ところがですね、このヴィデオなんとアナ・ダ・シルヴァ(Ana da Silva)が出ていないんですよ。冒頭のインタビューで説明されていますが、ライブ当日のサウンドチェックのときアナが手首を骨折して演奏できなくなってしまったんです。ただでさえスカスカでよれよれのレインコーツのサウンドなのに、アナが抜けてステージが成り立つのか?もちろん誰もがそう思います。

ところがですね、アナには悪いんだけど、素晴らしいんですよ、このステージ。プリティだぜ、惚れ直したぜ!ジーナ・バーチ!こんなベースサウンド、絶対ジーナにしか作り出せません。アナの穴を埋めようとステージを右へ左へのヴァイオリンのアン・ウッド(Anne Wood)もファンタスティック。あなたもレインコーツに絶対欠かせないメンバーです。ホントすごいんですよ、このおばちゃんたち。

オラのおすすめ、ザ・レインコーツの「No One's Little Girl」と「Shouting Out Loud」、2曲続けてお聴きください。

2010/05/25

No One's Little Girl - ザ・レインコーツ

結成後30数年にして、ザ・レインコーツ(The Raincoats)初来日であります。併せてしばらく入手困難だった CD が再発になり、iTunes でもダウンロードできるようになりました。大変喜ばしいことです。

が、問題なのはツアーのポスター。なんで「今の彼女たち」の写真を使わないのさ。Gina Birch は50代半ば、Ana Da Silva はもう60近いはずだぞ。どうして二人が箒にまたがって飛んでる写真を使わないのか、理解に苦しむ。

下の YouTube 映像は去年の London Lesbian and Gay Film Festival に出演したときの様子だけど「おばさん通り越してもうおばあちゃんなの! だけどヒッピーなの! もちろん No One's Little Girl 歌っちゃうの!!」なんて感じで、お姉さま、すてき。