2011/06/28

『Red Barked Tree』は今までのぼくらの作品の中でも一番売れたアルバムだ (Clay - ワイアー)

Untitled by Fergus Kelly
Untitled, a photo by Fergus Kelly on Flickr.

7月2日のライブを前にワイアー(Wire)のインタビュー記事が Cookie Scene のサイトに掲載されています。新作「Red Barked Tree」の売れ行きが好調で、今までのアルバムの中で一番売れているそうです。大変めでたいことだと思います。

前回の来日は2004年、アルバム「Send」のリリース直後でした。ファンの中にはあのときの「ズゴゴゴゴゴ」というサウンドを期待している人が結構いるんじゃないかと思いますが、「Object 47」や「Red Barked Tree」を聴いたみなさんにはもうお分かりの通り、ワイアーはもう「Send」のワイアーではありません。あれからもう7年経ったんです。

一方、今回のツアーでは「Two People in a Room」や「Boiling Boy」、「Kedney Bingos」など昔の曲をよく演奏しているようです。eMusic のインタビューでコリン・ニューマン(Colin Newman)がその理由を話していたので、一部ご紹介します。

「Send」のノイズは素晴らしかったんだけど、ひとつ気にくわなかったのは作品としての繊細さに欠けていることなんだ。個々の楽器の音がよく聴き分けられない。ひとつのマシーンが鳴っているように聴こえる。実際あれはマシーン・ロックだった。まあ意図して作ったものなんだけどね。

「Send」期で良くなかったのはバンドの進化が止まってしまったことだ。メンバーのひとりひとりに自分の役割をより高めようという意欲が失せてしまったんだ。ものごとが何から何までガチガチに決まっていた。曲のアレンジは予め隅々まで決まっていて、レコードと同じように演奏しなくちゃならなかった。耐えられないほど退屈だったんだよ。

たとえばイタリアでワイアーが自分たちと同じ年齢層のオーディエンスに依存していたら、ライブには毎晩10人くらいしか集まらないことになるよ。実際に集まっているのは20代が中心なんだ。オーディエンスというのはそういうもんだよ。オーディエンスに対してアピールし続けなければ新たなオーディエンスは得られない。常にアピールするものを持っていなくちゃならない。よく知られていることだと思うけど、今ぼくらは過去のWireの作品からセレクトしてライブで演奏している。うまくいってると思う。だがこれは状況に応じてやっていることなんだ。もし80年代のぼくらが70年代の作品ばかり演奏したらノスタルジアという落とし穴に落ちていたことだろう。だってそんなことをしていたら80年代のオーディエンスも70年代のとまったく同じ、ただ年を取っただけの連中ばかりになってしまう。だからぼくらは意図的に新しい作品ばかり演奏するようにしていたんだ。「Send」の頃もまだ少しそのやり方をしていた。部分的だけどね。だって2000年のツアーでは古い曲ばかり演っていたからさ。一方「Send」ツアーは「Send」の曲、つまり Read & Burn 01 と Read & Burn 02 の曲ばかり、古い曲はアンコールでだけ演奏したんだよ。だけど2008年に再びツアーに出たとき「こうやって曲の構成を決めてしまうのは、もう意味ないんじゃないかな」と思い始めたんだ。

Wire's Colin Newman | eMusic

赤に変わったら
同系交配の形式を選択する
我々は先例でできているから

ペースを保ち続けろ
戦利品を回収して、不名誉を回避せよ
足跡を残さずに潜れ

非難の声が上がる
つき進め、めくらめっぽう撃ちまくれ
標的を射止めて、議論を終わらせろ

景気の踊り場
石灰に沿って境界を整えよ
罪悪の人生

お互い疎遠になっても
遊びたいという欲求はない
我々は粘土でできているから

非難の声が上がる
標的を射止めて、議論を終わらせろ
たとえ未解決の問題が残っていてもかまわない

非難の声が上がる
たとえ未解決の問題が残っていてもかまわない
つき進め、めくらめっぽう撃ちまくれ

段階的に導入する
だがいつ始めたらいいのだろう
チャンスは僅か

中は空っぽだ
間違いなく大敗に終わる
我々には影響力が不足している

非難の声が上がる
つき進め、めくらめっぽう撃ちまくれ
標的を射止めて、議論を終わらせろ
たとえ未解決の問題が残っていてもかまわない
つき進め、めくらめっぽう撃ちまくれ