Mark E Smith, a photo by Dan's Photo on Flickr. |
現在イギリスの音楽シーンには、一筋縄ではいかない二大偏屈じじいがいます。一人はご存知、ロンドンはフィンズベリーパーク出身、PiL のジョン・ライドンです。もう一人、今回ご紹介するのがグレーター・マンチェスターはサルフォードの出身、ザ・フォール(The Fall)のマーク・E・スミス(Mark E. Smith)です。
マークがザ・フォールでデビューしたのはセックス・ピストルズ登場のすぐ後、1977年ですから、芸能生活35年の大ベテランです。ザ・フォール名義のアルバムだけで、もう29枚も出しています。見た目すごく老けていて、もう70近いんじゃないかという感じですが、ジョン・ライドンと同じ、現在56歳です。
次のビデオで演奏されているのは「Bury(バリー)」という曲で、グレーター・マンチェスター北部の町の名前がそのまま曲名になっています。2010年リリースのアルバム「Your Future Our Clutter」に収録されています。内容的にはマークの出自らしきものが歌われていて、PiL の「One Drop」や「Lollipop Opera」に相当する曲とも言えますが、前述の通り、マークはサルフォードの出身でバリー生まれではありません。このへんがマークのマークたる所以です。
ビデオを観ていただければ、誰でもすぐにわかるでしょう。これが偏屈じじいじゃなければ、一体誰が偏屈じじいなんだって言うくらい偏屈じじいです。ステージ上を徘徊して、時々思い付いたようにわけのわからないことをマイクでがなり立てます。かと思えばマイクを放り出し、ベース・アンプのボリュームを勝手に上げたり、キーボードの女性にちょっかいを出したりします。あきれ果てるほどのじじいぶりですが、実は若いころからずっとこんなんです。あまり変わってません。最初は何じゃこれ、と思うかもしれませんが、繰り返し聴いていると強力なバックのサウンドと相俟ってだんだんクセになってきます。
ちなみにキーボードの女性はエレーナ・ポーローという名前で、マークの2番目か3番目の奥さんです。この人もなかなか変わった人で、コートをステージに持ってきてキーボードの下に押し込んだり、演奏中も肩から下げたバッグを手離しません。バッグにはマークがステージ上で何か発作を起こしたときのための薬が入ってるんじゃないかともっぱらの噂です。
あとビデオの最後の方で上半身、衣服を着用していない女性が登場しますが、あれは一般のファンの方でメンバーではありません。
俺はバリーの生まれじゃない。俺はバリーの生まれじゃないんだ。俺はバリーの生まれじゃない。俺はバリーの生まれじゃないんだ。
ふざけんな、俺はミシガンの生まれだ。俺はバリー出身だ。フランスの王子なんだ。言っただろ。
この歌には意味があるんだ。どんな歌にだって意味がある。自動的にまた入れ替わる。
支払いある。支払いがあるんだ。支払いを俺の両肘が支えてるんだ。それで二人の子どもを食わせていかなくちゃならない。
今やってる。今やってるだろ。
道という道はすべて戦いだ。戦略だ。俺はバリーの生まれだ。ブーレでも同じだ。フルートみたいな音色のフランスの小品だ。俺にはできる。俺にはできる。
市役所のビルの横で、あんたはどの季節でも苦痛を感じるようになる。それから、ガラス張りの洒落た家の中で、よく隙間風を防いでいた。
やがてある日スペインの王が、できの悪い召使いの一群を引き連れて、バリーへやって来ようとする。
新しいレコーディングの手法。首に鎖を巻き付けて、ジャーン、彼が小走りで出て行く。俺がバリーの生まれだと言えば、あんたはもう何も言えない。
ふざけんな、俺はミシガンの生まれだ。俺はバリー出身だ。フランスの王子なんだ。言っただろ。
この歌には意味があるんだ。どんな歌にだって意味がある。自動的にまた入れ替わる。プレイ開始だ!
それで二人の子どもを食わせていかなくちゃならない。
俺はバリーの生まれじゃない。俺はバリーの生まれじゃないんだ。俺はバリーの生まれじゃない。俺はバリーの生まれじゃないんだ。
芸術家のマークは実際、灰色のリスみたいにクズどもの中から逃げ出した。ベン・マーシャルの記事を、大声で読み上げることで。あるいは下品な製造業界のユーザーが録音したものを使うことで。
俺はバリーの生まれだ。