2012/08/04

Metal Box とジョン・ライドンの借金

PiL のニューアルバム「This is PiL」が発売されて2ヶ月が過ぎました。自前のレーベル PiL Official からの発売なので、派手なお金をかけた宣伝は一切ありませんが、ジョン・ライドンはテレビ、ラジオ、雑誌、新聞、音楽サイトの取材、インタビューなどのプロモーション活動にを大量にこなしていて、発売直後の一時的なものにとどまらず、アルバムはコンスタントに売れているようです。Amazon UK を見ると、先日から始まったイギリス・ツアーに連動して、またチャートを上昇しています。

さて、前作「That What is Not」から今回の「This is PiL」まで、PiL としては20年ものブランクがあったわけですが、その理由はレコード会社との契約と借金で身動きが取れず、20年間いくら活動したくても、レコードを出したくても出せない状態だったからです。ツアーをやるにしろ、レコードを出すにしろ、それを実現するにはある程度まとまったお金が必要です。レコード会社が投資してくれないことには、何もできません。また契約に縛られているため、他のレコード会社に移ることもできません。

本当にひどい状況だった。頭が変になりそうだったよ。それでも俺は何とか切り抜けたが、俺だけじゃなく、レコード会社と契約してるアーティストにはホラー映画みたいな状況に陥ってるやつがたくさんいるんだ。彼らがうまく切り抜けてくれることを祈るよ。

ひどい馬鹿げた話は山ほどある。レコード会社は俺の独特のやり方が気に入らなくて、費用を俺に負担させるようになった。PiL が最初の2枚のアルバムを出したときなんか、連中は目の敵にしてたんだ。

PiL の移籍金を拠出してアルバムを出そうという別のレコード会社は、結局現れなかった。だから契約期間が切れるまで待つしかなかったんだ。不幸なことがもうひとつ、レコード会社への借金も残っていた。だから俺たちはまた別のレコード会社と契約して同じようなハメに陥らないように、自分たちでレーベルを立ち上げることにした。その金を稼ぐために約2年間、ずっとツアーし続ける必要があったんだ。

PiL singer John Lydon on record company battles

その2年間のツアーを始めるための資金を出したのは、もちろんレコード会社ではありません。ジョンにお金を出したのはバターの会社でした

それにしても、ジョンが借金漬けで20年も身動きが取れなくなったそもそものきっかけというのは何だったんでしょう?PiL を始めたときは無一文だったにしても、デビューシングルの「Public Image」はイギリスでベスト10入りするほどのヒットとなりました。その後も「This Is Not A Love Song」や「Rise」などのヒットを飛ばし、最もセールス的に振るわなかった80年代後半から92年にかけての時期も、ビルボードのロックチャートの上位に上がってくる程度には売れていたのに、です。

借金地獄の発端となったのはおそらく1979年リリースのセカンド・アルバム「Metal Box」でしょう。今でこそ PiLの名作として評価が確立しているアルバムですが、先のインタビューでジョンが言ってる通り、当時レコード会社はリリースを嫌がりました。内容的にレコード会社から見て歓迎できるものでなかっただけでなく、ジョンたちが特殊なパッケージでのリリースを要求したからです。

当時の一般的なアルバムの形は、30cm、33回転のアナログレコードでした。2枚組のレコードというのもありましたが、値段が高くなるのでそれが出せるのは実績があり、売り上げの期待できるビッグネームに限られていました。

またレコードの回転数には33回転と45回転の2種類あります。単位時間当りの回転が早い45回転の方が音質はだんぜん良いのですが、その分1枚のレコードに収録できる時間が短かくなります。つまり33回転なら1枚に納まる内容が、45回転だともう1枚増やさないと収録できなくなってしまうのです。ですから当時は「45回転はシングル・レコード用」と誰もが思い込んでいて、アルバムを45回転のレコードで出そうなんてバンドは皆無でした。

そんな時代に、音質を重視したジョンたちがレコード会社に要求したのは「Metal Box」を45回転の3枚組として出すことでした。しかもそれだけではなく、レコードをその名の通り金属製の缶に入れて発売すること求めたのです。前代未聞のことでした。

レコード会社は当然こんな要求をそのまま受け入れたりしません。交渉の末、最終的には6万セット限定でリリース、しかも高価な缶の代金はバンド側が負担するということで決着が付きました。こうして缶入り高音質レコード「Metal Box」は世に出たのです。当時、イギリスでは15ポンド前後の値段で販売されました

さて、問題はここでバンド側が負担した缶の代金はいくらだったのかということです。ジョンは2年前のインタビューで「あのパッケージに使った金を払い終えるのに18年もかかった」と言ってますから、相当な金額です。

一体いくらだったのか、探してみたらリリース直後、1980年の雑誌インタビューに Metal Box の製造費用27,000ポンドの内、缶の代金として20,000ポンドを負担したと書いてあるのが見つかりました。

あれ?だけどこの金額少な過ぎない?だって1セット15ポンドで販売すると6万セットで90万ポンドだよ。製造原価が3パーセント(27,000 / 900,0000 = 0.03)なんて安過ぎ、あり得ない。そんなんだったら、そもそもレコード会社も問題にしない。これは桁ひとつ間違ってるでしょう。製造原価30パーセントの27万ポンドだと思う。その内20万ポンドがバンド側の持ち出し。

当時の日本円にすると(今じゃ信じられないと思うけど、当時のレートは1英ポンドが450円なので)なんと9千万円! うん、これなら辻褄合う。20代前半の生意気なロックスターの若造に借金として背負わせて、がんじがらめにするには高過ぎず、安過ぎず最適な金額。レコードがヒットしても儲けはみんな借金の返済に消えいき、取り戻すまで18年もかかったというのも理解できる。単なる全体金額からの推測だけど、大きくは外れてないはず。

普通の大人が考えれば「なんて馬鹿なことを!どうしてそこまでしてパッケージや音質にこだわるんだ?自分で金出してレコードを配ってるようなもんじゃないか!」って感じだと思います。

でもだからこそ「Metal Box」は世に出て、たくさんの人に大きな影響を与え、現在の PiL やジョン・ライドンがあるんです。そういう馬鹿がいるからこそ、世の中ほんの少しずつだけど、マシになってきてるんだよ。