2012/12/22

1977年のクリスマスとセックス・ピストルズ

a cake with Sex Pistols written on it, the size of a car bonnet

最近、アメリカなんかでは「メリー・クリスマス」って言っちゃいけないそうです。世の中にはキリスト教だけじゃなくユダヤ教やらイスラム教やら創価学会やら色んな人がいるので「ハッピー・ホリデイズ」というのが政治的に中立で正しいということになっているそうで、街の看板やらテレビ CM などはみんな「ハッピー・ホリデイズ」になっているそうです。

ずいぶん昔に「宗教とまるで関係のない楽しいクリスマス」を確立してしまったわたしたち日本人からすると「いいじゃない、そんなに目くじら立てなくてもみんなで楽しめれば」って思うのですが、そうもいかないようです。この調子でいくと、2050年頃には「メリー・クリスマス」って言ってるのは日本人だけになっているかもしれません。いや、でもね、色んな宗教とか神様を差別せずに寛容に受け入れられる日本の文化というのは誇るべきものだと思うよ。

なんで日本人は色んな宗教に寛容なんだろう?それはですね、わたしたち日本人が今でも原始的な祖霊信仰の世界に生きてるからなんだと思います。日本人の大半は仏教徒だなんてよく言われていますが、仏教のことを調べてみると現在日本で仏教と呼ばれているものは元のゴータマ・ブッダの仏教とはまったくの別物であることがわかります。日本の仏教は土着の祖霊信仰と合体して日本独自のものに変貌を遂げています。

嘘だと思ったらそのへんのじいちゃん、ばあちゃんに「ホトケ様」と言って何を思い浮かべるか、尋ねてみるといいよ。ほとんどは家の仏壇とかに祀ってる亡くなった家族やご先祖さまのことを思うはずだから。日本人にとってのホトケ様というのは、ゴータマ・ブッダよりもまず自分に近い祖霊のことなんです。この祖霊信仰、現在も色濃く残っているがゆえに「色濃く残っている」ということがあまり意識されていません。

だってそうでしょう、普段「宗教?神様とか仏様とか、俺はそんなの関係ないなあ。考えてみたこともない」って言ってる人が「そういえば、親父の墓参り、もう何年も行ってないなあ」なんて言っても、誰も変に思わないでしょう?むしろそういう人が今の日本人の主流です。この墓参りに行けなくて何となく後ろめたく、申し訳なく感じる気持ち、これを祖霊崇拝と呼ぶのですよ。

だからホトケ様といえばまず死んだ親父とかばあちゃんのこと。もちろん自分ちだけじゃなくよその家にもホトケ様がいて、ホトケ様の世界にも序列とかがあって、そん中で一番エラいのがゴータマ・ブッダ=お釈迦様ってのが日本のごく普通の仏教です。

だからわたしたちにとってキリストというのは西洋のエラいホトケさんで、アッラーといえば「ほう、イランとかイラクではそういう名前のエラいホトケさんがいるんかい」という調子で、だからすべての神様を簡単に受け入れることができるんです。「メリー・クリスマス」だって「たまには西洋のホトケさんのお祝いをしたって別にバチは当たらんだろ」でオッケーなんです。

しかしながら世界には唯一のホトケ様しか信じられないという人が結構な数を占めているため、そういう人たちに対してわたしたち日本人はこれからも「まあまあ、メリークリスマスくらいで、そんなに目くじら立てなくても」と(なだ)めていかなければならない使命を負っているのです。

イギリス人のジョニー・ロットンもわたしたちと同じように「唯一絶対のホトケ様しか認められないなんてナンセンスだ」という考えを持っているようです。彼は「Religion」という曲でキリスト教世界を批判し、「Four Enclosed Walls」という曲をイスラエルで演奏して「アッラー」というフレーズをユダヤ人の聴衆に合唱させるなど数々の偉業を成し遂げてきました。彼はクリスマスをどう思ってるんでしょう?彼の考えは明快です。子どもたちからケーキとサンタを取り上げるな、取り除くべきは宗教の方だ、です。

子どもの頃、クリスマスがどんなに楽しみだったかおぼえてるか?子どもたちはクリスマスが大好きなんだ。だから絶対にクリスマスを厄介なものにしちゃいけない。クリスマスから宗教的な意味を取っぱらえばいいんだ。

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1977年のクリスマス、イギリス、ウエスト・ヨークシャー州ハダーズフィールドの消防士たちは待遇の改善を求め、約3ヶ月にもおよぶ長期ストライキの真っ最中でした。当時の詳しい状況はよく知らないのですが、そこまでやるからにはよほどのひどい労働環境だったはずです。一方、消防士という仕事の性質上、ストライキに対する社会的な圧力もハンパなものではなかったはずです。

ストライキの間、消防士たちには給料が支払われずその家族は窮乏状態のままクリスマスを迎えることになったのですが、そこに手を差し伸べたのは我らがセックス・ピストルズでした。昼間のナイトクラブを借り切ってクリスマス・パーティーを開催、送迎バスをチャーターして消防士の子どもたちを招待したのです。

当時そのパーティーに招待されたクレイグとリンジーという名の二人がその思い出を語った2004年のインタビューが BBC のサイトに載っていたのでご紹介します。

クレイグ: お金は全部ピストルズが出してくれたんだ。会場へ行くとそこはお菓子やレコードがいっぱいあって、どれでも好きな物がもらえたんだ。10歳くらいの子どもたちが Never Mind The Bollocks (知ったことか、くそったれ!)って書かれたT シャツを着て走り回ってたよ。子どもがいっぱいで大騒ぎだった。

リンジー: 何もかも、本当にびっくりだったわ。テーブルにはザクロやオレンジなんかの果物でいっぱい。彼らはわたしたちのために、本当に夢みたいなものを用意してくれたの。

その年のクリスマスは、わたしたち消防士の子どもがたくさんのプレゼントをもらえるなんて、本当ならあり得ないことだったのよ。すごく大変な時期だったの。クリスマスには家族で集まってプレゼントをもらうのが楽しみだからみんないい子にしてたんだけど、両親は労働争議の真っ最中で、給料も支払われていなかったから...。

クレイグ: ...あれで親父の肩の荷が下りたんだと思うな。「そうだな、(ピストルズのパーティに)行かせた方が、子どもたちは楽しく過ごせるのかもしれないな」って考えたんだと思う。もしあのクリスマスを家で迎えていたらって考えると、やっぱりあそこへ行って良かったんだと思う。

リンジー: それまで見たこともないような光景だったわ!

クレイグ: ピストルズの4人が出てきて「Holidays In The Sun」を演奏したんだ。シド・ヴィシャスが子どもたちに向かって唾を吐いたもんだから、ジョニーは「止せよ、いつものファンとは違うんだぜ。みんな小さな子どもじゃないか」なんて言ってた。ジョニー・ロットンはこういうのが大好きみたいだった。すっごく楽しそうで、ケーキに頭から突っ込んだりしてた。指についたクリームをなめながらみんなにケーキを勧めてたんだけど、終いにはみんなに髪の毛をクリームまみれにされていたよ。

家に帰ったときはバッジやステッカー、T シャツやら LP レコードやら、おみやげでいっぱいだったことを憶えてるよ。でもしばらくするとそれは物置行きになって、やがてそのほとんどを母が捨ててしまったんだ。もし今も取ってあったら、ものすごい値打ち物だったのにな。そういえば同じように消防士の親を持つ小さな女の子がいたんだけど、ジョニー・ロットンは自分たちのゴールド・ディスクを皿代わりにしてケーキを乗っけてそのままその子にあげちゃったんだ。その後その子がどこに行ったのか、あのゴールド・ディスクがどうなったのか、もう誰にもわからないんだよ。

当時は親父がどんな問題に直面していたのか、まるで知らなかった。もちろん今ならわかるよ。俺たちもストライキをするからさ。その間、給料は支払われず、請求書だけが回ってくるんだ。今の俺たちのストライキはせいぜい2日くらいですぐに元の状態に戻るけど、親父たちがやっていたのは12週間から13週間にも及ぶ長期のストライキだった。13週間も収入ゼロだったんだ。ものすごくつらい戦いだったと思うよ。もし自分がそんな立場に置かれたらって考えるとぞっとするよ。

リンジー: あれでみんな気が晴れたの。両親に文句を言いたい気持なんか吹っ飛んだわ。最高のクリスマスを過ごせたんだもの。本当に信じられないほどの。

Happy Punk-mas in Huddersfield!

このパーティの模様はピストルズのドキュメンタリー映画「The Filth And The Fury (邦題: No Future)」にもほんの少しだけ映ってます。奇しくもこの日は(1970年代の)セックス・ピストルズがイギリスで演奏をした最後の日となりました。その聴衆がこの消防士の子どもたちだったのです。

みなさんも良いクリスマスが迎えられますように。メリー・クリスマス!