Johnny Rotten PIL, a photo by .noir photographer on Flickr. |
35年前、ジョニー・ロットンはセックス・ピストルズの曲「God Save The Queen」で「お先真っ暗だ (No Future)」と歌いました。言葉の表面だけ見れば絶望の歌です。だけど当時セックス・ピストルズに飛び付いた若者たちがこの曲に感じたのは絶望なんかじゃありません。当時、中学生でこの曲を聴いた当事者として断言します。ピストルズの曲、ジョニーの歌に感じたものは「希望」です。ああ、こうやって「自分」を出してもいいんだ。こういうのが、ありなんだ。そういう驚きと希望です。
この現実の世界は「裸の王様」の世界です。大人たちは薄々「本当は王様は裸なんじゃないか」と気付いていますが、なぜか「そう言っちゃいけない」という暗黙のルールに縛られています。なぜ言っちゃいけないのか、もし言ったら何が起きるのか、考えること自体を恐れています。言わないことで自分や家族を守ってるのかもしれません。ただし波風を立てないというだけで、それが果して本当に守り切れるのか、事態をさらに悪化させているだけじゃないのか、というところまでは考えが及んでいません。今までそれで大丈夫だったんだから、今まで通りにしていれば大丈夫なはずだ。大抵はそんなところでしかありません。
そこへ恐れを知らぬ少年ジョニー・ロットンが登場して言ったわけです。「よく見ろよ。王様はどこをどう見たって、ありゃ裸だろ。」それまで大人たちが必死に支えてきたルールの崩壊する音が聞こえました。
本当はジョニーも怖くなかったわけじゃありません。得体の知れない圧力や怖さを感じてなかったはずはありません。にも関わらずひとり勇気を振り絞ったのは、何よりまず、その圧力に押し潰されそうだった自分自身を救いたかったためです。
ピストルズが俺を救ってくれたんだよ。ピストルズが俺を惨めさのどん底から、労働者階級の貧困生活から助け出してくれたんだ。ピストルズに参加したおかげで、俺は既成の枠組みにとらわれず、自分のアタマでものを考られるようになった。以来、俺は変わずそうし続けてる。俺は自分の考え方に自信を持ってる。失敗したとか、間違っていたとか、馬鹿なことをしたなんて、少しも思っていない。そんな気持ちになってしまうような、浅はかな考え方はとうの昔に捨てたんだ。
俺は人生にきちんと決着をつけたいんだ。正しいものにしたいんだ。自分だけじゃな 。ほかの人たちも、もっとマシな生き方ができるようにしたいと思っている。
人がどう思ってるかは知らないが、ピストルズの曲はみんなそういう歌なんだ。権利を剥奪された人間の歌だ。そりゃ今まで生きてきて色々良いこともあったよ。だからといって、子どもの頃受けたひどい仕打ちを忘れることはできない。俺をでき損ない扱いして、不当に扱った規則や決まりを決して忘れはしない。
今年の2月、BBC 6 Music で放送された「One Drop」を初めて聴いたとき、何か昔初めてピストルズを聴いたときのような感じが甦りました。もちろん曲調はピストルズとは似ても似つかないのに、です。今までジョン・ライドンの中で二つに分かれていたピストルズ的なものと PiL 的なものが、一つになりつつあるんだと感じました。何がそう感じさせているのかは、すぐに分かりました。従来の PiL の曲にはなかったどこか暖かみのあるサウンドと共に、歌の主語に We が使われているからです。
ご存知の通り「God Save The Queen」や「Pretty Vacant」など、ピストルズ時代の曲には主語として We が頻繁に登場しています。ところが PiL の時代になると(Fodderstompf のようなごく一部の例外を除き) We は使われなくなり、主語はもっぱら I になりました。「俺たち」を封印し、常に「俺」の立場からだけ歌うようになったのです。これは俺だ、おまえじゃない。俺の歌だ。安易におまえと俺を同一視するな、というのが 、ピストルズから PiL へのジョン・ライドンの大きな変化であったわけです。
20年ぶりのニューアルバム「This is PiL」とその中の曲「One Drop」は、PiL 史上初めて、ジョン・ライドンが自分自身に We と歌うことを許した記念すべき曲です。曲の前半は次のように歌われます。
俺の名はジョン、ロンドンで生まれた
俺は人の弱みにつけこんだりしない
それが俺の流儀だ俺たちの法則、それはルールと無縁、自由であること
混沌が俺たちを生んだ
俺たちを変えることなど、誰もできない
誰もそのわけを説明できない
だがそれこそが
俺達が俺達たる所以年齢なんか関係ない
俺たちは皆ティーンエイジャーだ
俺たちは絶望から這い出して
注目の的となった
俺たちが
最後のチャンスだ
俺たちが
最後のダンスだ
これだけだと、ジョンが自分自身とピストルズや PiL の仲間たちのことだけを歌っているようにも聞こえますが、曲の後半でそうではないことが明らかになります。
俺たちはロンドンで生まれた
ロンドン以外でも生まれた
ロンドンでも生まれた
ああ本当は、世界中いたるところで生まれたのさ
そう、この曲はジョン個人やその仲間のことだけ、あるいは同世代の人間やロンドンのことだけを歌ったものではありません。「俺たち」の歌です。
世界中であらゆるものが経済的、社会的な崩壊の危機に瀕している。この問題を自分なりに理解するためには、ごく個人的なところから考え直さなくちゃならない。だから俺は自分の子どもの頃のことを分析したんだ。まだ音楽の世界に入る前、仕事のない一人の若者として、どう感じていたかってことさ。それで「俺たちはティーンエイジャーだ。年齢なんか関係ない。」ってリフレインが生まれたんだ。
俺たち末端の人間のことなんか少しも考えない政府は、邪魔者以外の何者でもない。昔から少しも変わっていないんだ。不幸なことに行き着く先はいつも暴動さ。ほかに俺たちに何ができるって言うんだ?暴動ってのは、手っ取り早い息抜きなんだよ。だがそれは常に、誰かが傷付けられたり殺されたりという最悪の結果に終わる。
もちろん暴動を容認しようなんて考えはさらさらない。だが暴動に加わってしまう連中の気持ちはよくわかる。毎日がフラストレーションで、爆発しそうな状態なんだよ。開放弁のない圧力鍋みたいなもんさ。あらゆる問題の原因がそこにあるんだ。
俺は幸運にもキャリアのスタートで、歌を書くという役割を授かった。そして、それを途中で放り出さず、正しく誠実に作り続けることに力を注ぎ続けてきた。俺にとってはそれが人生最高のチャンスで、捨て去るなんて考えられない。俺の歌は俺の魂から生まれる。音楽が俺の魂なんだ。レディー・ガガも言ってるだろ「こうなる運命の下に生まれてきたんだ (Born This Way)」って。