2011/09/07

1988年8月エストニアでの PiL ライブ映像、期間限定公開

Estonia-8 by didkovskaya
Estonia-8, a photo by didkovskaya on Flickr.

(注: この記事に書かれている YLE でのライブ映像公開期間は2011年9月末で終了しましたが、その後 PiL 出演部分が YouTube にアップされました。この文章の最後に載せてあるビデオがそれです。)

1988年8月、当時はまだソ連の支配下にあったエストニアで初めて、西側のロックバンドを招いて Rock Summer Festival が開催されました。12万人が集まったこのフェスでPiL(Public Image Ltd.)は初日のヘッドラインを飾りました。そのドキュメンタリービデオがフィンランドのテレビ局 YLE のサイトで1ヶ月の期間限定で公開されています

PiL は61分あたりから登場します。「Public Image」と「Home」の演奏はちょん切られてるけど、「Rise」はほぼフルに収録されてます。今年撮影されたジョン・ライドン(John Lydon)のインタビューも収録されてます。アルバム「Happy?」期なので、若き日のルーやブルース・スミス(Bruce Smith)と共に今は亡きジョン・マッギーオ(John McGeoch)の勇姿も見られます。12万人はハンパないです。見渡す限り人がぎっしりいます。

当時、日本の音楽雑誌などで PiL はほとんど取り上げられなくなっていて、このフェスティバルについては片隅の小さなニュースとして載った程度だったのですが、ジョンをはじめ PiL のメンバーにとってはきわめて重要な経験だったようです。当時のインタビューで、ジョンは次のように話してます。

ステージに出てしばらくは興奮のあまり声が出なくて最初の2曲は大変な思いをしたよ。完全にアガってた。あんなの初めてだった。普段は一旦ステージに上がってしまえば平気なのにさ。

あそこ集まった連中は、俺たちがそこにいるってだけで死ぬほど愛してくれたんだ。本当にそれだけでさ。ものすごい驚きだったよ。俺はいつもブーイングを浴びてばかりでそれが当たり前だったからさ。セックス・ピストルズはブーイングを浴びずに演奏したことなんてないんだよ。俺が音楽を始めて最初の反応は「ブー!失せろ!クズ野郎!」だったからな。

これまでで最高の成果だよ。お偉いさんたちはこの10年ずっと俺をファシスト扱いしてきたが、普通の人たちはちゃんと俺のことを分かっていた。彼らは今まで俺のライブを観たことなかったし、もちろん俺と話をしたことなんてないんだぜ。彼らが唯一観ることができたのは、フィンランドのテレビで放送された、わずかな数の俺たちのビデオだけなのにさ。

今じゃビデオというものに対する考えが変わったよ。エストニアに行くまでは、ありきたりな退屈した連中が住んでて、誰でも自由にレコードを買えるところだと思ってたんだ。でもそうじゃなかった。彼らはテレビで「Rise」を観て(英語がよくわからないから)おかしな歌詞で一緒に歌うんだ。感動的だよ。しかもエストニアではそれは禁じられた行為だから、みんな人に知られないようにやっていたんだ。

(訳注: 当時のエストニアではもちろん PiL のビデオなんて放送していません。フィンランドの電波を違法に受信して観ていたわけです。)

PIL IN RUSSIA: HOLIDAYS IN ESTONIA

またルー・エドモンズ(Lu Edmonds)もこのときの様子を次のように語っています。

すごく不思議な会場だった。奇怪なサンゴのような形したコンクリート製のステージで、合唱隊とか5千人がステージに立ち、12万人を相手に演奏できるようなところだったんだ。だからステージ上の音はバカでかくて具合が悪くなるほどだった。聴衆は1万人が集まっていた。ソ連のフェスティバルで西側のロックバンドが演奏するのは俺たちが初めてだったんだ。

PiL のレコードを聴くことは、当時のソ連では許されていなかった。そのほかにもたくさんのレコードやバンドが禁止されていた。もちろんピストルズもダメだ。もし持っているところを見つかれば、牢屋にぶち込まれてしまうんだから。

Lu Edmonds interview